春日山藩(読み)かすがやまはん

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

春日山藩
かすがやまはん

越後(えちご)国春日山(新潟県上越(じょうえつ)市)に置かれた藩。1598年(慶長3)上杉景勝(かげかつ)が会津へ移封後、越前北庄(きたのしょう)(福井市)から豊臣(とよとみ)秀吉の命により堀秀治(ひではる)が春日山城主として入封。以後直江津(なおえつ)(上越市)の東部福島の地に新城を築いて、ここを去るまでの10年間を春日山藩時代とする。越後一国45万石のうち、与力(よりき)大名村上義明(よしあき)に村上9万石、溝口秀勝(ひでかつ)に新発田(しばた)6万石を統治させ、秀治が直接治めたのは、30万石であった。また、家老堀監物直政(けんもつなおまさ)を三条城に、弟堀美作親良(みまさかちかよし)を蔵王堂(ざおうどう)に、直政の三男堀直寄(なおより)を坂戸(さかと)城に置くなど、国内の要地に一族を配置した。秀吉の死後、時代の動向を察し、豊臣氏取り立ての大名にもかかわらず徳川方についた。1600年(慶長5)4月には、関ヶ原の戦いの前哨(ぜんしょう)戦となった上杉遺民一揆(いっき)が越後各地で発生した。この一揆を鎮圧することで上杉氏の勢力を押しとどめ、徳川氏の覇権への活動を有利にした。堀氏は1598年に越後領内総検地を行って増税を課し、青苧(あおそ)などに新税をかけた。また上杉時代強い権力をもっていた真言宗寺院を弾圧した。秀治は新城完成をみずに1606年病死し、07年嗣子(しし)忠俊(ただとし)が福島城に移ったが、10年、家臣堀監物直次・直寄兄弟の内紛を理由に改易され廃藩となった。越後の近世はこの春日山藩堀氏の統治から始まった。[中村義隆]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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