翻訳|timetable
鉄道、バス、船、航空機など定期的に運行される交通機関について、その発着時刻を記載した表、またはそれらを多数掲載した冊子。
日本の代表的な時刻表は『JTB時刻表』(JTBパブリッシング刊)と『JR時刻表』(交通新聞社刊)であり、毎月発行され交通事業者や旅行代理店などに販売されるほか、書店や駅売店などで一般向けにも売られている。これらはJR線を主とし、列車の出発時刻(主要駅では着時刻の記載もある)とともに、列車番号、列車愛称名(「のぞみ」「はやて」など)、行き先、季節列車の運転日などが記載してあるほか、乗車券類の種別や運賃計算の方法など営業案内も付してある。また、私鉄やバス、船、飛行機の時刻も、一部ではあるが収録しているほか、旅行者の便を図って宿泊施設や観光案内なども掲載している。これらは第三種郵便物の承認を受ける関係上、重量が1キログラム以内に抑えられているとはいえ、B5判で1000ページにわたる大部の冊子となる。そのため、携帯に便利なよう、情報を限って判型を小さくした小型判も発行されている。
これらとは別に、特定の地域や路線に限った時刻表も発行されている。かつては北海道や九州など、全国版の一部を抄録したものが主流であったが、1990年代以降は首都圏や京阪神など大都市圏の通勤列車を網羅したり、私鉄各社が自社の全駅・全列車を掲載したりするなど、特色ある時刻表も発行されるようになった。
[高嶋修一]
世界最初の時刻表はイギリスのブラッドショーGeorge Bradshaw(1801―1853)が創刊した『Bradshaw's Railway Guide』とされており、1839年から1961年まで発行された。日本の時刻表は、1872年(明治5)の鉄道創業とともに発行が開始された。当初は一枚刷りであったが、1883年に『官報』が創刊されると、ここへ列車時刻が掲載されるようになった。1894年10月、冊子式で定期月刊の『汽車汽船旅行案内』が出版され(東京・庚寅(こういん)新誌社)、旅行者向けの時刻表の嚆矢(こうし)となった。以後、交益社、博文館からも旅行案内形式の時刻表がそれぞれ発刊されたが、1915年(大正4)鉄道院の指導によりこれら3社が合同して旅行案内社を設立し、『公認汽車汽船旅行案内』の発行を開始した。のちに「公認」がとれて『汽車汽船旅行案内』となったものの、これが戦前の民間発行による代表的な時刻表となった。大正時代にはこのほかにも多くの時刻表が発行されたが、いずれも漢数字縦組みで、列車時刻の推移は右から左へ表記される形式であった。
他方、鉄道当局の部内ではアラビア数字横組の時刻表が使用されており、明治末以降、業務用や外国人旅行者向けに頒布していた。このようなものの一つであった鉄道省運輸局編纂(へんさん)『汽車時間表・附汽船自動車発着表』を、日本旅行文化協会(1924年設立。のちの日本交通公社、現在のジェイティービー・グループ)が1925年から『汽車時間表』として翻刻市販するようになった。これが『JTB時刻表』の前身にあたる。1939年(昭和14)には『時間表』と改題し、さらに1942年に鉄道で午前・午後の12時間制にかわって24時間制が採用されたのにあわせて『時刻表』と改め、部内用語であった「時刻表」が一般に流布するようになった。同誌は第二次世界大戦中から終戦直後にかけ刊行が不定期となったものの、戦後まで継続した。一方、民間発行の時刻表もこれと併存して発行を続けたものの、第二次世界大戦中に出版や用紙の統制が強まるなか前述の『汽車汽船旅行案内』に一本化され、それも1943年に廃刊となった。
第二次世界大戦終結後は複数の月刊時刻表が創刊されたが、長期にわたり継続したのは交通案内社の『ポケット全国時刻表』と『日本時刻表』であった。また、鉄道弘済会もいくつかの時刻表を発行したが、やがて弘済出版社を設立して1963年(昭和38)に『全国観光時間表』を創刊し、翌年『大時刻表』と改題した。1987年、国鉄は分割民営化に先だち自ら時刻表を編集する方針をもって弘済出版社の『大時刻表』を継承した。誌名は翌1988年に『JR時刻表』となった。一方で、それまで表題に「国鉄監修」をうたっていた日本交通公社は立場が一転し、1988年に『JTB時刻表』と改題して現在に至っている。
1990年代になると、発駅と着駅を入力するだけで時刻や経路、運賃などを調べることができるパソコン用のソフトが発売された。やがてインターネットが普及するとオンラインで最新のデータを検索することが可能となった。データベースも複数の交通機関を網羅するようになったり、住所や施設名称などからも検索が可能となったりするなど、利便性を増していった結果、冊子体の時刻表需要は急速に減退した。こうしたなか、交通案内社は2003年(平成15)に時刻表を廃刊し会社も解散した。
この流れは外国でも同様で、今日では多くの国の鉄道および各種交通機関の発着時刻を、インターネットを利用して検索できるようになっている。『Thomas Cook Overseas Timetable』は、イギリスで世界最初の旅行代理業を始めたT・クックが1873年に創刊した『Cook's Continental Time Tables』以来の長い歴史をもち、日本を含め世界各国の主要路線の時刻表を網羅していたが、これも2013年に廃刊となった。翌年、同誌の編集者らが立ち上げた新会社が『European Rail Timetable』を創刊するなど新しい動きもみられるが、あくまで一部愛好家に向けたものとみるべきである。
[高嶋修一]
『鉄道友の会監修『時刻表大研究』(1977・広済堂出版)』▽『中川浩一著『旅の文化誌――ガイドブックと時刻表と旅行者たち』(1979・伝統と現代社)』▽『高松吉太郎・佐藤常治編『日本の鉄道と時刻表』(1979・新人物往来社)』▽『窪田太郎著『時刻表世界の旅』(1980・日本交通公社出版事業局)』▽『三宅俊彦著『交通ブックス107 時刻表百年のあゆみ』3訂版(1997・成山堂書店)』▽『交通情報部編『時刻表1000号物語――表紙で見る「時刻表」のあゆみ』(2009・JTBパブリッシング)』
鉄道,バス,船,飛行機などの発着時刻等を記載したもの。鉄道においては,列車の運転のために定められた時刻を運転時刻といい,時刻表はこれを表にし集約したもので,列車ごとに各駅の到着時刻,発車時刻,通過時刻等が表示されている。利用者にとっては列車の運転時刻がわかり,旅行などの計画に便利である。一方,鉄道部内においては列車の運転についての作業指示であり,関連したすべての作業の規範である。旅客の便のためには旅客列車時刻表がある。これは秒以下の端数を切り捨て,通過駅の時刻を省略して利用者に見やすいものとしてある。貨物荷主のためには貨物列車時刻表がある。貨物列車の扱い駅の時刻を表示し,荷主やフロントの便に供している。部内用の時刻表は鉄道管理局ごとに,全列車全駅について,駅の発着・通過の時刻を表示するほか,運転線路の指定,着発線の指定等の運転取扱いの必要事項を記入し,列車運転の秩序の規範としている。
執筆者:河田 譲次
全国の鉄道の時刻を1冊の本にまとめて公刊した時刻表の創始者は,イギリスの印刷業者ブラッドショーGeorge Bradshaw(1801-53)で,1839年10月19日発行の《ブラッドショーの鉄道時刻表》第1号から始まった。これは41年12月から月刊となり,鉄道のほかに汽船の時刻も加え,1961年6月まで続いたので,〈ブラッドショー〉は〈鉄道時刻表〉を意味する語として,一般に認められた。一方,イギリスで世界最初の旅行代行社を創立したトマス・クックは,1873年に《クックのヨーロッパ大陸時刻表》を創刊,以後海外旅行者に多く利用され,今日ではヨーロッパ版と,ヨーロッパ以外の全世界を収録する海外版の2種類を発行している。
日本では東海道本線の新橋~神戸間が全通した1889年の8月に,大阪の忠雅堂が刊行した《日本全国汽車時間表》が,冊子式全国鉄道時刻表の最初である。月刊としての最初は,94年10月に東京の庚寅(こういん)新誌社が刊行した《汽車汽船旅行案内》であった。これらは駅名,時刻とも漢字縦書きで,右から左へ横に進む体裁であった。以後いくつかの社から競争で刊行された。現在の時刻表の体裁が確立されたのは,1925年4月,日本旅行文化協会創刊の《汽車時間表》で,これは鉄道省運輸局が部内用に編集,配布していたものを,一般に発売したもので,のち42年に《時刻表》と改題,現在は日本交通公社等が刊行している。
→列車ダイヤ
執筆者:小池 滋
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…日本では《意識産業論》(1962)が特に著名。1965年以降,雑誌《時刻表Kursbuch》を創刊,編集。みずからも文学や社会,政治等の時局的諸問題について斬新な視角から誌上で健筆を振るう。…
※「時刻表」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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