ローマの弁論家,修辞学者。北アフリカのキルタ出身。アントニヌス・ピウス帝の信を得て,養子マルクス・アウレリウスとウェルスの修辞学の教師に任ぜられた。143年にはコンスルに就任。彼に名声をもたらした数々の演説はいずれも散逸したが,19世紀前半にイタリアのボッビオ修道院からマルクス・アウレリウスとの往復書簡集,その他多くの書簡が発見された。これらは決して高い才能を感じさせるものではないが,彼の修辞学研究の一端をのぞかせると同時に,当時の宮廷のようすもよく伝えている。彼は哲学を嫌い,修辞学の価値を終始一貫して説き,おもにプラウトゥス,大カトー,サルスティウスら古典期以前の作家の文体に範を求めた。弟子を深く愛し,弟子からも愛された。マルクス・アウレリウスは結局哲学の道を選び,哲人皇帝として《自省録》も残したが,師フロントを終生敬愛してやまなかった。
執筆者:三浦 尤三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…共和政の崩壊によって実際の活動の場を失った弁論は,学校に入り,修辞学となって,すべての学問の基礎としての地位を獲得した。有名な弁論術教師には,演説の見本集を残した大セネカ,《弁論術教程》を著したローマ最大の修辞学者クインティリアヌス,皇帝マルクス・アウレリウスの師フロント,弁論のための資料集を編んだウァレリウス・マクシムスValerius Maximusなどがいる。 白銀時代の最大の作家は小セネカ(以下単にセネカと記す)とタキトゥスであろう。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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