日本歴史地名大系 「智清寺」の解説 智清寺ちせいじ 東京都:板橋区下板橋村智清寺[現在地名]板橋区大和町国道一七号の西に所在する浄土宗寺院。龍光山恵照(えしよう)院と号し、本尊は阿弥陀如来。開山は永享一二年(一四四〇)に没した明蓮社見誉智清という(「風土記稿」など)。当寺の檀越である板橋宿上(かみ)宿名主板橋氏の先祖は、位牌や墓碑から判断して板橋信濃守忠康の息子である忠政の子で、寛永三年(一六二六)に没した大善院殿円誉月宗道元とされ、浄土宗乗蓮(じようれん)寺とともに中世板橋氏の外護が想定される。天正一九年(一五九一)一一月に徳川家康より寺領五石が寄進され、以降朱印地が与えられた(智清寺文書)。「江戸名所図会」などによると、元和三年(一六一七)当寺中興の心蓮社法誉輪宗は、高松半平が大坂城落城時にひそかに持出したという豊臣秀吉が崇信していた十一面観音像を授かり、これを境内に稲荷社として祀ったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by