暗黒街の顔役(読み)あんこくがいのかおやく(英語表記)Scarface

改訂新版 世界大百科事典 「暗黒街の顔役」の意味・わかりやすい解説

暗黒街の顔役 (あんこくがいのかおやく)
Scarface

ハワード.ヒューズ製作,H.ホークス監督および共同製作のアメリカの映画名作。1930年製作。《犯罪王リコ》(1930),《民衆の敵》(1931)とともに三大ギャング映画といわれ(3作ともアル・カポネをモデルにした作品),その後30年代前半だけで300本に及ぶギャング映画を生む大ブームのきっかけを作った。シカゴの新聞記者出身で,史上初のギャング映画として知られる《暗黒街》(1927)の原作者であるB.ヘクトが脚本を書き,〈ボルジア家末裔(まつえい)が現代のシカゴに生きている〉という想定のもとに,ギャングの残虐な反社会的行為を鮮烈に描いた(アル・カポネは当時,獄中からこの映画のシナリオをチェックさせろと要求したという)。そのためプロダクション・コード(映画倫理規定)にかかわる問題となり,いくつかの場面を削除し,結末を変え(ホークスは三通りのラストを撮ったという),アーミテージトレールの原作小説の題名《国民の恥Shame of a Nation》を映画のサブタイトルにし,さらに,ギャングは社会の敵であるという意味の当局のメッセージまでつけ加えて,2年後の32年に公開された(日本で公開された版もこれと同じもの)。ポール・ムニ扮する主人公の左ほおにある傷と同じように,殺人の場面に現れるXのマーク(あるいは十字架の形)が,映画の冒頭からラストまで見え隠れする〈世界はあなたのもの〉というイルミネーションの文字とともに,この映画のテーマを強烈に印象づけた。本物のギャングだったジョージ・ラフトがこの映画で俳優として売り出し,その後ギャング映画の代表的スターとなった。コイン指先ではじいてもてあそぶ癖は,彼のトレードマークになるとともに,この映画のシンボルとなり,その後いろいろな映画(《雨に唄えば》1952,など)にパロディとして使われ,彼自身が30年後に特別出演した《お熱いのがお好き》(1959)でもそのジェスチャーを再現してみせた。また,ホークスの巧みな音の処理と象徴的な視覚的手法は,はるか後年のフランスでヌーベル・バーグ派の作家たちに影響を与えた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル大辞泉プラス 「暗黒街の顔役」の解説

暗黒街の顔役〔アメリカ映画〕

1932年製作のアメリカ映画。原題《Scarface》。ハワード・ホークス監督のギャング映画。出演:ポール・ムニ、ジョージ・ラフト、ボリス・カーロフほか。1983年にリメイク版『スカーフェイス』が作られた。

暗黒街の顔役〔日本映画〕

1959年公開の日本映画。監督:岡本喜八、脚本:西亀元貞、関沢新一、撮影:中井朝一。出演:鶴田浩二、宝田明、三船敏郎、白川由美、草笛光子、柳川慶子ほか。同監督による「暗黒街」シリーズのひとつ。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の暗黒街の顔役の言及

【ギャング映画】より

…やがてトーキーによって拳銃の発砲やマシンガンの掃射や自動車の疾走などが〈音〉を獲得するや,その暴力とアクションの魅力で大衆を熱狂させ,30年代初頭にギャング映画は黄金時代を迎えることになる。その口火を切ったのが,ギャング映画の古典として知られる次の3作,マービン・ルロイ監督,エドワード・G.ロビンソン主演《犯罪王リコ》(1930),ウィリアム・A.ウェルマン監督,ジェームズ・キャグニー主演《民衆の敵》(1931),ハワード・ホークス監督,ポール・ムニ主演《暗黒街の顔役》(製作は1930年,公開は32年)で,いずれもシカゴのギャングのボスとして鳴らし,当時まだ獄中にあったアル・カポネをモデルにして主人公の無法の人生と末路を描いた。主役を演じたロビンソン,キャグニー,ムニはいずれも一躍スターにのし上がり,また《暗黒街の顔役》でムニの弟分を演じたジョージ・ラフトとともに,4大ギャングスターとなった。…

※「暗黒街の顔役」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android