三船敏郎(読み)ミフネトシロウ

デジタル大辞泉 「三船敏郎」の意味・読み・例文・類語

みふね‐としろう〔‐としラウ〕【三船敏郎】

[1920~1997]俳優中国青島チンタオの生まれ。黒沢明監督の「酔いどれ天使」に主演して、一躍スターとなる。以後、「羅生門らしょうもん」「七人の侍」「天国地獄」など、黒沢作品に欠かせない俳優として活躍。「レッドサン」「グランプリ」など、海外の作品にも数多く出演した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三船敏郎」の意味・わかりやすい解説

三船敏郎
みふねとしろう
(1920―1997)

俳優。中国の青島(チンタオ)に生まれる。大連(だいれん)中学を卒業。1946年(昭和21)東宝第一期ニュー・フェイス募集で採用されて入社翌年銀嶺(ぎんれい)の果て』でデビューした。1948年黒澤明に認められ『酔いどれ天使』の主役に起用され、豪快な演技力をみせて一躍スターの座を獲得。以後『静かなる決闘』『野良犬』『羅生門(らしょうもん)』『七人の侍』『用心棒』などの黒澤作品に個性豊かな演技を発揮した。1962年には三船プロを設立。また『価値ある男』『レッド・サン』『1941』などの海外作品にも出演、国際的な活躍をみせた。そのほかに『蜘蛛巣城(くものすじょう)』『無法松の一生』『椿(つばき)三十郎』『天国と地獄』『赤ひげ』『日本のいちばん長い日』『千利休(せんのりきゅう) 本覺坊遺文(ほんがくぼういぶん)』など。

[長崎 一]

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百科事典マイペディア 「三船敏郎」の意味・わかりやすい解説

三船敏郎【みふねとしろう】

映画俳優。青島(チンタオ)生れ。1946年第1期東宝ニューフェースに合格し入社。翌1947年谷口千吉監督《銀嶺の果て》でデビュー。黒澤明の《酔いどれ天使》(1948年)のギャング役で認められ,以後《羅生門》(1950年),《隠し砦の三悪人》(1958年),《用心棒》(1961年),《赤ひげ》(1965年)など,黒澤作品に欠かせない俳優として活躍。1962年三船プロを設立し,熊井啓監督《黒部の太陽》(1968年)などの製作も手がけた。他の作品に稲垣浩監督《宮本武蔵》(1954年),同《無法松の一生》(1958年),熊井啓監督《千利休 本覚坊遺文》(1989年),同《深い河》(1995年)などがある。
→関連項目ブロンソンベネチア国際映画祭

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三船敏郎」の意味・わかりやすい解説

三船敏郎
みふねとしろう

[生]1920.4.1. 山東,青島
[没]1997.12.24. 東京,三鷹
映画俳優,制作者,監督。大連中学卒業。 1946年東宝に入社,翌年『銀嶺の果て』でデビュー。以後大胆な演技で人気をあげ『新馬鹿時代』 (1947) ,『酔いどれ天使』 (48) などに出演。 51年ベネチア国際映画祭サン・マルコ金獅子賞受賞作品『羅生門』 (50) に主演して世界的に有名となる。 62年には三船プロダクションを創立,石原プロとの共作『黒部の太陽』 (68) ,『風林火山』 (69) などの大作を発表して成功し,スタープロブームの一翼をになった。 71年にはフランス映画『レッド・サン』に出演。また,テレビ映画にも活躍。他の主要作品『生きものの記録』 (55) ,『無法松の一生』 (58) ,『天国と地獄』 (63) ,『赤ひげ』 (65) ,『上意討ち』 (67) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三船敏郎」の解説

三船敏郎 みふね-としろう

1920-1997 昭和後期-平成時代の映画俳優。
大正9年4月1日中国青島(チンタオ)生まれ。昭和21年東宝第1期ニューフェースで入社,翌年「銀嶺の果て」でデビュー。23年黒沢明監督の「酔いどれ天使」に主演,以後「羅生門」「七人の侍」など黒沢作品に連続出演。37年三船プロを設立。「レッド・サン」「将軍」などの外国映画にも出演した。平成9年12月24日死去。77歳。平成27年ハリウッドの映画部門の殿堂入り。大連中学卒。

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世界大百科事典(旧版)内の三船敏郎の言及

【隠し砦の三悪人】より

…1958年製作の黒沢明監督の初のシネマスコープ作品。戦国時代,男に変装した姫君(上原美佐)を護衛して,忠臣の武将(三船敏郎)が,金に目のくらんだ愚かな2人の百姓(千秋実と藤原釜足)をうまく味方につけて,少数のゲリラ部隊のように敵中突破するという,日本映画には稀有(けう)なスケールの大きい骨太の大活劇。〈三悪人〉は,黒沢明の敬愛するジョン・フォード監督のサイレント時代の西部劇の名作の一本《三悪人》を想起させるし,〈敵中突破〉のテーマは,黒沢明がそれ以前に書いていたシナリオ《敵中横断三百里》(1957年,森一生監督によって映画化された)につながる。…

【活劇映画】より

やくざ映画
[活劇の隆盛]
 1950年代から60年代にかけては活劇が隆盛となり,各社で数多くの活劇スターが生まれた。東宝では《暗黒街》シリーズ(1950‐60)の三船敏郎と鶴田浩二,青春スポーツ活劇《若大将》シリーズ(1961‐71)の加山雄三,《国際秘密警察》シリーズ(1963‐66)の三橋達也,《独立愚連隊》シリーズ(1960‐63)の佐藤允。大映では《悪名》(1961‐69),《兵隊やくざ》(1965‐68)両シリーズの勝新太郎,《陸軍中野学校》シリーズ(1966‐68)や《ある殺し屋》(1967)の市川雷蔵,《黒の試走車》(1962),《宿無し犬》(1964)の田宮二郎。…

【黒沢明】より

…数人のシナリオライター(小国英雄,菊島隆三,橋本忍らに本人みずからも参加)に同一のシーンを別々に書かせて最高のでき上りのものを採用していくという独特の共同作業によるシナリオづくりも注目された。《酔いどれ天使》から《赤ひげ》(1965)に至る〈黒沢一家〉の中心スター・三船敏郎を育て,〈世界のミフネ〉たらしめた功績もある。アメリカ資本による《暴走機関車》《トラ!トラ!トラ!》の映画化は実現せず,黒沢プロダクション解散のあと,69年,木下恵介,市川崑,小林正樹とともに〈四騎の会〉を結成,その第1回製作《どですかでん》(1970)を初のカラー作品として撮る。…

【日本映画】より

…戦後のスター・プロには次のようなものがある。(1)長谷川一夫(1948‐52)(2)鶴田浩二(1952‐53)(3)山村聡(1952‐65)(4)岸恵子,久我美子,有馬稲子の〈にんじんくらぶ〉(1954‐66)(5)三船敏郎(1962‐ 。東京世田谷成城)(6)石原裕次郎(1963‐ )(7)三国連太郎(1963‐65)(8)勝新太郎(1967‐ )(9)中村錦之助(のち萬屋錦之介)(1968‐ )
【時代劇と現代劇】

[サイレント映画の頂点――時代劇の全盛時代]
 日本映画は1920年代後半,量産時代に入り,年間650本ほどの作品がつくられるようになった。…

【酔いどれ天使】より

…戦後の貧しい青春を描いた《素晴らしき日曜日》(1947)につづいて,脚本は植草圭之助とのコンビによっている。戦後社会の一つの象徴的産物である闇市にのさばるやくざたちを取りあげ,中年を過ぎた酔いどれの医師(志村喬)と結核を病むやくざの青年(三船敏郎)との交流を描きながら,やくざの世界の至高の道徳律であり誇りである〈仁義〉の虚偽とむなしさを痛烈にあばきつつ,日本の戦後社会の世相と精神構造,その動揺と混乱を的確かつ鮮烈にとらえた作品であった。映画音楽を〈対位法〉的にとらえた作曲家早坂文雄(1914‐55)とのコンビ第1作であり,1946年の東宝ニュー・フェイス三船敏郎(1920‐97)とのコンビのスタートとなった作品でもある。…

※「三船敏郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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