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曺晩植 チョ マンシク

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

曺晩植 チョ-マンシク

1882-? 朝鮮の独立運動家,政治家。
高宗19年11月15日生まれ。1913年日本の明大を卒業。帰国後キリスト教青年会総務,1932年朝鮮日報社長となる。この間日本への無抵抗主義民族運動を展開,「朝鮮のガンジー」といわれた。解放後,1945年10月北朝鮮朝鮮民主党を結成,朝鮮信託統治案に反対して軟禁され,消息不明となる。

曺晩植 そう-ばんしょく

チョ-マンシク

出典|講談社
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世界大百科事典 第2版の解説

そうばんしょく【曺晩植 Cho Man‐sik】

1883‐?
朝鮮の独立運動家。号は古堂。平安南道の江西出身。1913年明治大学卒業。学生時代ガンディーに傾倒。三・一独立運動で1年間入獄。22年朝鮮物産奨励会会長,27年新幹会中央委員,32年《朝鮮日報》社長。創氏改名を拒否し神社参拝に反対するなど,徹底したキリスト教民族主義者として知られた。解放後,平安南道建国準備委員会や北朝鮮五道政治局の委員長を歴任。45年朝鮮民主党を結成,46年朝鮮信託統治に反対して軟禁され,以後消息不明。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

晩植
そうばんしょく / チョマンシク
(1882―?)

朝鮮の民族主義指導者。号は古堂。平安南道(へいあんなんどう/ピョンアンナムド)江西郡班石面生まれ。1913年(大正2)日本の明治大学を卒業。五山中学校校長、キリスト教青年会総務、新幹会中央委員、『朝鮮日報』社長等を歴任しつつ、無抵抗主義民族運動を唱えたため、「朝鮮のガンディー」とよばれた。1945年解放直後、建国準備委員会平安南道委員長、五道行政局長、北朝鮮民主党委員長等に就任し、北朝鮮における民族主義者の中心人物となった。しかし、同年12月のモスクワ外相会議決定「朝鮮信託統治案」に反対したため、ソ連占領軍当局により軟禁され、生死不明となった。1950年前後に死亡したと推定されている。[玉城 素]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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