改訂新版 世界大百科事典 「新幹会」の意味・わかりやすい解説
新幹会 (しんかんかい)
1927-31年に活動した朝鮮の民族統一戦線組織。社会主義者と民族主義者との提携による民族統一戦線の考えは,24年ころから現れ,実現の試みもなされていた。26年末,日本帝国内での〈自治〉を求める右派民族主義者の動きに対抗して,あくまで独立を目ざす《朝鮮日報》などに拠る左派民族主義者は〈非妥協的民族戦線の樹立〉を呼びかけた。また第3次朝鮮共産党幹部安光泉らは同年11月に〈正友会宣言〉を発表して民族主義者との提携を積極的に打ち出していた。このような動きの中で27年1月,洪命熹,申錫雨,安在鴻,権東鎮らは新幹会の結成を呼びかけ,前年からソウル派社会主義者と物産奨励運動の民族主義者が組織準備を進めていた民興会もこれに合流,2月15日に創立大会が開かれ,〈政治的経済的覚醒を促進する。団結を強固にする。機会主義をいっさい否認する〉という綱領が採択され,会長に《朝鮮日報》社長の李商在が選ばれた。当初会員は200人あまりだったが,民衆の支持を得て同年中に会員数2万,支会数100を超え,最盛時には4万,140支会に発展した。27年5月には同じ性格の女性団体槿友会(きんゆうかい)が結成され,新幹会と歩みを共にした。これらは,コミンテルンの統一戦線戦術,中国の国共合作などの動きにも沿うものだった。
新幹会は全国大会の禁止のため活動方針を定められなかったが,郡単位の支会では労働組合,農民組合とともに植民地政策に反対して活動した。29年に許憲を委員長に社会主義者が多数を占める執行部が成立,甲山火田民事件などに取り組み,同年の光州学生運動に際して民衆大会を計画したが,多くの幹部が検挙された。次の委員長金炳魯の穏健路線は下部会員の反発を呼び,コミンテルンの方針転換もあって新幹会解消論が強まり,論争の末31年5月に解消が決議された。多様な階級,階層,多彩な人物が参加した統一戦線組織として民族解放運動史に大きな位置を占めるが,南北統一問題ともからんで評価は定まっていない。
執筆者:水野 直樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報