最明寺跡(読み)さいみようじあと

日本歴史地名大系 「最明寺跡」の解説

最明寺跡
さいみようじあと

[現在地名]鎌倉市山ノ内

北条時頼が山ノ内別邸の傍らに創建した寺院。従来は明月めいげつ谷の奥にあったといわれていたが、上杉重能在判円覚寺境内図(円覚寺蔵)などから、円覚寺惣門の南西東慶とうけい寺の前辺りに位置していたと考えられる。

吾妻鏡」康元元年(一二五六)七月一七日条に「将軍家御参山内最明寺、此精舎建立之後始御礼仏也」とあり、将軍宗尊親王参詣を伝える。


最明寺跡
さいみようじあと

[現在地名]福山市駅家町中島

備後平野の北辺を限る山麓周辺の台地上にあり、多くの礎石があったが、発掘調査を経ていないので現状では建物の配置などは推測できない。この遺跡は古来最明寺の旧寺地と伝えられ、中世の五輪石塔も多く、古瓦が台地一帯から出土している。

蓮華文軒丸瓦は周縁は素文で外区に二重圏をめぐらし、連珠文帯を配し、内区は八葉の複弁が刻まれ、中房は比較的小さく、六顆の子房が突出する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む