日本歴史地名大系 「有年原・田中遺跡」の解説
有年原・田中遺跡
うねはら・たなかいせき
〔北部地区〕
原小学校校庭遺跡とよばれていた北部地区は、弥生時代から中世に至る集落跡で、中心は飛鳥期後半から奈良時代前半の掘立柱建物跡群である。昭和六二年に第四次の全面調査が実施された。掘立柱建物跡は三十数棟が発見されたが多くの重複があり、また建物はほとんどが南北棟であるが方位は三群に分類できる。A群はほぼ真北方向を向くが、重複があって二群に細分される。B群は真北より東に振る配置をとり、C群は磁北方向の建物群である。これらは配置から四群に分類される。I群は調査区の北地域を中心とする四棟の建物で構成されている。この群の中心的建物はSB一〇で、規模も大きく東側に雨落溝を伴っている。なお調査区南西隅の石列とSB一七は、現存地割方位に対して四五度の振れがある。II群はC群に属するもので、すべての建物が南北棟である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報