日本歴史地名大系 「望月城跡」の解説
望月城跡
もちづきじようあと
[現在地名]望月町望月
望月宿の東、
一の郭は東西四〇間、南北三八間、その中の本郭は東西一五間、南北一四間あり土石の塁をめぐらせ、二の郭は東西一〇間、南北四六間。三の郭は方三〇間、東南に堀をめぐらす(長野県町村誌)。
望月氏はここを根拠地として繁栄しており、保元の乱(一一五六)に源義朝の軍に属した望月重隆、木曾義仲軍の主要な構成メンバーで、源頼朝の開幕後はその御家人となった望月太郎・次郎の名が知られている(吾妻鏡)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報