望月金鳳(読み)モチヅキ キンポウ

20世紀日本人名事典 「望月金鳳」の解説

望月 金鳳
モチヅキ キンポウ

明治・大正期の日本画家



生年
弘化3年3月(1846年)

没年
大正4(1915)年6月18日

出生地
大坂・平野町

本名
望月 学

旧姓(旧名)
平野

別名
別号=小蟹

経歴
初め森二鳳円山派を学び、ついで西山完瑛に四条派を学ぶ。その傍ら武術を学び真陰流を修めた。17歳頃養家を去って、京阪の地で当時の幕末志士と交わり活躍した。明治9年上京、内務省吏員となり、開拓使転任、札幌県、北海道庁に勤務するが、23年辞職し画業で立つ。この間15年内国絵画共進会に出品、また23年以降日本美術協会で受賞を重ねた。28年内国勧業博で「古木巨鷲」が妙技3等賞、30年全国絵画共進会で「月下群犬」が3等銅牌となる。31年野村文挙らと日本画会を結成。40年文展開設の際、審査員選定の不満から高島北海らと正派同志会を結成、幹事となり、第1回展不出品ののち、41年第2回文展より出品、審査員を務めた。動物画を得意とし、「狸の金鳳」と称された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「望月金鳳」の解説

望月金鳳 もちづき-きんぽう

1846-1915 明治時代の日本画家。
弘化(こうか)3年3月生まれ。森二鳳(じほう),西山完瑛(かんえい)にまなぶ。北海道庁につとめ,明治23年東京にでて画業に専念花鳥,動物画とくに狸(たぬき)を得意とした。文展審査員。大正4年6月18日死去。70歳。大坂出身。本姓は平野。名は学。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android