20世紀日本人名事典 「朝日茂」の解説
朝日 茂
アサヒ シゲル
昭和期の社会運動家 日本患者同盟中央委員。 朝日訴訟の原告;患者運動家。
- 生年
- 大正2(1913)年7月18日
- 没年
- 昭和39(1964)年2月14日
- 出生地
- 岡山県津山市
- 学歴〔年〕
- 中央大学夜間部〔昭和11年〕卒
- 経歴
- 昭和11年ごろから肺結核にかかり、15年早島光風園(国立岡山療養所)に入院、以後24年間の闘病生活。20年人権無視などで病院民主化闘争を組織。23年日本患者同盟結成、中央委員に選出される。29年ごろの生活保護費をめぐって、津山福祉事務所が35年も音信不通だった兄を捜し出し仕送りを強要。引揚者の兄が苦しい家計から1500円仕送りするとの回答で、うち900円を医療費自己負担分とするよう命じた。これに憤慨した朝日は、31年8月不服を申し立てたが、県も国も訴えを却下。32年8月東京地裁に提訴し、35年10月浅沼武裁判長により「現行保護基準は憲法25条の精神に違反する」という判決が下された。これが36年の基準改訂につながったが、中山マサ厚相は東京高裁に控訴。「朝日訴訟を守る会」が各地にでき、中央対策委員会も結成され、海野普吉会長、長宏事務局長を選出、人間裁判の名で急速な広がりをみせた。38年11月の東京高裁は「低額だが不当とは言えない」と判決。39年1月朝日は最高裁に上告したが、同年2月死去した。訴訟は養子夫婦が継承したが最高裁は「継承権がない」との判決で結審した。“朝日訴訟”はその後の生存権の解釈や生活保護行政のあり方に大きな影響を与えた。手記「人間裁判」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報