朝日訴訟(読み)アサヒソショウ

デジタル大辞泉 「朝日訴訟」の意味・読み・例文・類語

あさひ‐そしょう【朝日訴訟】

昭和32年(1957)、重度の結核で国立療養所に長期入院していた朝日茂が、生活保護費支給基準は劣悪で、憲法に規定する生存権を侵害するとして訴えた行政訴訟

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「朝日訴訟」の意味・わかりやすい解説

朝日訴訟
あさひそしょう

国立岡山療養所に入所中であった朝日茂(1913―1964)が1957年(昭和32)8月、当時の厚生大臣被告として起こした訴訟。その内容は、生活保護法に基づき厚生大臣が定めた入院患者日用品費基準(当時月額600円)は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とした憲法第25条と、それを受けた生活保護法に違反するというもの。訴訟の発端は、1956年7月、多年音信のなかった朝日茂の兄が福祉事務所の要求で月1500円の仕送りを約したため、翌月分から生活扶助としての日用品費を打ち切られたうえ、1500円から600円を引いた残り900円を医療費の一部自己負担とし、その残りの医療費についてのみ医療扶助を行うとする保護変更処分を受けたことにある。

 一審の東京地方裁判所判決(1960年10月19日)では全面勝訴したが、二審の東京高等裁判所判決(1963年11月4日)は、日用品費月600円はすこぶる低いが違法でないとした。上告後まもなく本人が死亡、養子の健二・君子夫妻が訴訟を承継して争ったが、最高裁判所大法廷判決(1967年5月24日)は、保護を受ける権利は相続できないとの理由で訴訟終了を宣しただけでなく、多数意見傍論は、最低生活をどう定めるかについては厚生大臣に広範な裁量権があるとした。

 人間たるに値する生活を営む権利の保障を求める訴訟のゆえに「人間裁判」とよばれた10年にわたる朝日訴訟運動は、憲法第25条の実現を求めるその後の多くの社会保障運動の先駆として特筆に値する。

小川政亮

『朝日茂の手記『人間裁判』(1965・草土文化)』『朝日訴訟運動史編纂委員会編『朝日訴訟運動史』(1971・草土文化)』『小川政亮編著『社会保障裁判』(1980・ミネルヴァ書房)』

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改訂新版 世界大百科事典 「朝日訴訟」の意味・わかりやすい解説

朝日訴訟 (あさひそしょう)

1957-67年の10年間にわたり,憲法25条の保障する生存権とその制度的実現をめぐって生活保護基準内容などについて争われた訴訟。国立療養所で長期結核療養患者として入院中の朝日茂は,当時生活保護によって日用品費月額600円と給食付き医療給付を受けていたが,実兄から扶養料として毎月の送金1500円を受けるようになった。これに対し,福祉事務所は,この600円の支給を打ち切り,加えて残額900円を医療費の一部として負担させるという生活保護変更決定をした。そこで朝日は,生活保護基準内容自体憲法25条の生存権保障に則していないにもかかわらず,このような保護変更決定をするのは不当であるとして,行政不服申立てをしたが却下されたので,その裁決の取消しを求めて訴訟を提起した。この訴訟では,憲法25条で定める生存権と,そこでいわれている〈健康で文化的な最低限度の生活〉の保障を実現するための公的扶助制度(生活保護制度),生活保護基準内容,厚生大臣による基準決定の法的性格などが争われ,一審(1960)は原告勝訴,二審(1963)は原告敗訴となったが,上告中原告が死亡し,最高裁大法廷は,争われた生活保護とその受給権は朝日茂の一身専属的な権利であり,養子夫妻の訴訟承継対象たりえないという理由で,原告敗訴の判決を下した。さらに最高裁判所は,〈念のため〉として,憲法25条の法的性格をプログラム的性格,すなわち国の国民に対する道義的責任の宣言と判断し,その生存権保障の具体化とそれにもとづく具体的権利は生活保護法によって与えられるとした。この訴訟は,当時,人間裁判と呼ばれ,広く全国民的な支持をえた憲法擁護のための訴訟運動をもひき起こし,その後の生存権とその具体的制度化をめぐって争われる社会保障訴訟とそのための運動の先駆となった。
プログラム規定 →堀木訴訟
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朝日訴訟」の意味・わかりやすい解説

朝日訴訟
あさひそしょう

生活保護処分に関する裁決の取消しを求めて争われた行政訴訟。争いの事実は長期重症結核患者として国立岡山療養所に入所していた朝日茂が 1956年,長年音信不通であった実兄から月額 1500円の仕送りを受けることになり,これに対し津山市社会福祉事務所長が生活保護の変更決定を行い,同年8月以降 600円の生活扶助 (日用品費) を廃止し,代りに送金分から 600円を渡し,残余の 900円を医療扶助の一部負担に充当したことに始る。訴訟はこれを不服として朝日茂が,「600円では健康で文化的な生活を営むことはできず,補食費を含めて 1000円が必要である」との申立てを岡山県知事に行なったが却下され,さらに厚生大臣への抗告をも却下された。このため 57年,東京地方裁判所に厚生大臣を被告として提起したものである。これに対し東京地方裁判所は 60年 10月 19日,原告勝訴の判決を下した。これに対し国側が控訴し,東京高等裁判所は 63年 11月4日,基準設定に関する具体的判断は厚生大臣の裁量にゆだねられているなどの理由で1審判決を破棄し,朝日茂側の請求を退けた。被控訴人はこれを不服として上告したが,上告審中に病没し,その養子夫婦が訴訟を継承した。これに対し,最高裁判所は 67年5月 24日,「本件訴訟は上告人の死亡によって終了した」として訴訟終了の判決を行なった。なお同裁判所は傍論で,「何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は,一応,厚生大臣の合目的的な裁量にゆだねられており,生活保護法の趣旨・目的に反し法律によって与えられた裁量権の限界をこえたり,裁量権を濫用した場合を除けば,その判断は当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあっても,さらに違法の問題を生ずることはない」とした。

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百科事典マイペディア 「朝日訴訟」の意味・わかりやすい解説

朝日訴訟【あさひそしょう】

生活保護法に基づく保護基準が憲法第25条にいう健康で文化的な最低生活を保障しているか否かを国を相手として争った訴訟。1960年一審判決では原告朝日茂〔1913-1964〕の勝訴。1963年二審は〈すこぶる低額だが違法でない〉として厚生大臣の勝訴。1967年最高裁判所判決は原告死亡のため訴訟終了を宣したが,多数意見傍論で二審判決を支持。
→関連項目生存権

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世界大百科事典(旧版)内の朝日訴訟の言及

【生存権】より

…また,立法府の裁量を広く認めると,法的権利説といっても結果的にはプログラム規定説に近いものになってしまうのである。 判例で,生存権の権利性が正面から争われたのが朝日訴訟である。この訴訟において最高裁の1967年の判決は,生存権を具体化する生活保護法に基づく厚生大臣の生活保護基準設定行為の適法性に関して,〈健康で文化的な最低限度の生活〉を抽象的な相対的概念として,その認定判断は一応厚生大臣の合目的的な裁量にゆだねられ,ただちに違法の問題を生ずることはないと判断して,生存権の権利性を後退させる考え方を示した。…

【ナショナル・ミニマム】より

…日本のナショナル・ミニマムは,憲法25条の〈健康で文化的な最低限度の生活を営む権利〉として端的に表現されているが,現実にはその水準をどのように特定するかが問題となる。現行の生活保護基準の低さが,憲法に定める生存権を侵害しているとして,朝日茂が国を相手どって提起したいわゆる朝日訴訟は,ナショナル・ミニマムの具体的な内容を問うものとして注目された。第一審判決において原告は勝訴したが,第二,三審では第一審判決がくつがえされ,憲法25条は抽象的な権利を示すプログラム規定であり,かつ保護基準そのものにも税金によるものであることに対する国民感情などの生活外的要素を考慮すべきである,などの判断にみられるように,日本ではナショナル・ミニマム論の本来的な意義は否定されたに等しい結論となった。…

※「朝日訴訟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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