朝生村(読み)あそうむら

日本歴史地名大系 「朝生村」の解説

朝生村
あそうむら

[現在地名]榛原町静谷しずたに

勝間田かつまた川の中流右岸に位置し、東は同川を挟んでなか村、北は三栗みくり村、西は牧之原まきのはら台地へと続く谷地。元徳元年(一三二九)一一月二三日の大仏貞直奉書写(内田文書)に「遠江国朝生西明寺田在家」とあり、遠江御家人内田致景は守護大仏貞直から勝田尼理阿代の法阿が訴えている朝生・西明寺の田在家の相論の論人(被告)内海範長の召喚を命ぜられている。西明寺は近世には切山きりやま村の内で、最明さいみよう寺観音堂がある。永禄一二年(一五六九)正月一一日の徳川家康判物写(御家中諸士先祖書)には「勝間田之内麻生村・永代方共」とみえる(→勝田・勝間田

朝生村
あそうむら

[現在地名]相生町朝生

現相生町の東部那賀川の町域最下流左岸に位置する。「相生町誌」によると、天正一七年(一五八九)検地帳が影石家に伝存し、同帳では反別は田一町三反余・畠二町四反余・居屋敷二反余、家数七。寛永(一六二四―四四)前期のものと推定される国絵図には「あさう村」とある。しかし正保国絵図、寛文四年(一六六四)郷村高辻帳、天保郷帳には記載がない。文化九年(一八一二)の郡村仮名附帳(鷲敷町史)では当村は阿井あい(現鷲敷町)の枝郷。天明六年(一七八六)の村々浦里男女人改帳(守野家文書)によると、人数一三一(男六〇・女七〇・僧一)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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