相生町(読み)あいおいちよう

日本歴史地名大系 「相生町」の解説

相生町
あいおいちよう

面積:一〇一・三九平方キロ

県の南東部、郡の中央部に位置し、北は勝浦かつうら郡勝浦町・上勝かみかつ町、東は鷲敷わじき町・阿南市、南は海部かいふ日和佐ひわさ町、西は上那賀かみなか町。町域は四国山地の南部にあり、那賀川の中流域に位置する。那賀川は町の西部から蛇行を繰返しながら東流し、支流の赤松あかまつ川と合流する辺りから北へ流れを変えて鷲敷町に抜けており、赤松川のほか蔭谷かげだに川・紅葉もみじ川・谷内たにうち川などの支流が当町域で流れ込んでいる。那賀川の本流にほぼ沿って国道一九五号が走り、また吉野よしのの字川口かわぐちで分岐し赤松川に沿って日和佐町に至る主要地方道阿南―鷲敷―日和佐線が走っている。町のほぼ中央の那賀川本流には川口ダムがあり、川口発電所も併設されている。また蔭谷には日野谷ひのたに発電所がある。

古代の律令制下では那賀郡に属していたと思われ、「和名抄」に記される那賀郡八郷の一つ山代やましろ郷に含まれていたという説もある。また「延喜式」神名帳の那賀郡七座の一つ「賀志波比売カシハヒメノ神社」を谷内下傍示の柏木しもほうじのかしわぎ神社に比定する説がある。中世の当町域は那賀山なかやま庄に含まれていた。その庄域は那賀川の全流域に及び、庄内に大由おおゆ郷・仁宇にう郷・延野のぶの郷・和食わじき郷・加茂かも郷・平島ひらじま郷があった。このうち延野郷のほぼ全域と仁宇郷の一部が当町域に比定される。延野の郷名は当町鮎川あいかわにある大宮おおみや八幡神社に伝来する大般若経巻六〇〇の奥書にみえる。この大般若経は永和四年(一三七八)から応永六年(一三九九)にかけて書写され、奉納されたもので、奉納者として藤原実俊・同宣俊・同家俊・同俊忠などの名が奥書にみえる。


相生町
あいおいちよう

[現在地名]前橋市本町ほんまち二丁目・表町おもてちよう二丁目

近世の町人町白銀しろがね(銀町)鍛冶かじ町を明治六年(一八七三)合併して相生町と改称した。西の田町たまち通から白銀町が続き、北の本町へ出る通りから東側が鍛冶町。鍛冶町の東端は北へ折れて片貝かたかい町の本通りへ続く。両町とも貞享元年(一六八四)の「前橋風土記」にあり、白銀町は銀町と記される。鍛冶町の町名は鍛冶職人の集住するところから付けられたと思われるが、文政一二年(一八二九)の前橋藩諸職人元帳(星野文書)では桶師四・大工二がいるだけで、鍛冶職人は一人もいない。


相生町
あいおいちよう

[現在地名]高崎市相生町

城下北西端の町で遠堀外にある。赤坂あかさか町の北に続く三国街道の両側町。町の長さ一町一二間(安政三年城下図)。「高崎志」に「宝暦六丙子、赤坂町小泉某願テ家作シテ町トス、同九己卯、領主ヨリ相生町ト名ヅケラル、赤坂町ノ分ナリ、此町三国道ノ大道ニシテ、金古ヘ三里アリ、又榛名山、伊香保温泉ニモ行道ナレバ、旅客常ニ往来ス、左右茶店多シ」とある。町の出口に木戸・番屋も移され、相生町口とよばれた。木戸外を左折し上和田かみわだ並榎なみえへの道は室田むろだ道といわれ、古くから白岩観音長谷ちようこく寺・榛名はるな神社(現群馬郡榛名町)参詣の道で、室田(現同上)から大戸おおど(現吾妻郡吾妻町)狩宿かりやど(現同郡長野原町)大笹おおざさ(現同郡嬬恋村)を経て鳥居とりい峠で信州に入る大戸道(信州道)でもあった。


相生町
あいおいちよう

[現在地名]姫路市博労町ばくろうまち

姫路城南西にある福中ふくなか(初め備前門)の西に位置する町人町。船場せんば川沿いの南北の町筋。初め備前町といったが、文政三年(一八二〇)前姫路藩主酒井忠道が備前守に改めてから備前門を福中門と改め(姫陽秘鑑)、その後町名も相生町に改めた。「村翁夜話集」には文政三年福中内新町と改めたとあるが、嘉永六年(一八五三)の相生町地子銀帳(谷村家文書)に「延享四丁卯年備前町地子銀帳写」とあることから、「村翁夜話集」の記述が誤りであることがわかる。


相生町
あいおいちよう

[現在地名]函館市宝来町ほうらいちよう青柳町あおやぎちよう末広町すえひろちよう元町もとまち

明治六年(一八七三)の町名町域再整理の際に成立した町(「事業報告」第一編)。函館の市街地は近代に入り、函館山の山裾を巡って南東部へ広がっていくが、その新市街に付けられた町名。春日かすが町の東側に並行し、南から北に一―四丁目となっていた(明治六年函館旧市街図)。文政年中(一八一八―三〇)の箱館市中細絵図では当地辺に「牢屋舗」がみえる。「蝦夷日誌」(一編)はこの「牢屋」について「四面土手にし而よく構たり。俄羅斯人ゴローインも此処ニ置し也」と記し、文化八年(一八一一)にクナシリ会所で捕縛されて箱館に連行されたディアナ号艦長ゴロヴニンが、箱館役所で審問をうけた際の留置場所としている。


相生町
あいおいちよう

[現在地名]小樽市相生町・東雲町しののめちよう山田町やまだまち

明治一四年(一八八一)より同三二年まで存続した町。みなと町の西にあり、南を入船いりふね川が流れる。明治一一年頃まではアイヌの家二戸があり、入船町のうちで、三本木さんぼんぎ坂方面とともに入船裏通と仮称されていた(小樽市史稿本)。同一三年小樽郡長より三本木坂の裏通りえびす町、水天宮すいてんぐう山側の裏通りを相生町とする申請が出され、後者は認可、同一四年六月小樽郡に住初すみぞめ町とともに相生町が置かれた(「事業略記」・郡区沿革表など)


相生町
あいおいちよう

上京区桝形通出町西入上ル

南北に通る桝形ますがた通を挟む両側町。「京内まいり」(宝永五年)などによれば今出川いまでがわ通以北、寺町てらまち通以東の地一帯は、文禄年中(一五九二―九六)豊臣秀吉の命で四条櫛笥しじようくしげ(現中京区)から移建された日蓮宗立本りゆうほん寺が(京童跡追)、宝永五年(一七〇八)の大火で内野一番うちのいちばん(現一番町)に移るまでの境内地であった。現相生町はその東北部分にあたるが、京都御役所向大概覚書に「立本寺跡」として「宝永五子年類焼以後、御門跡方公家衆・御所役人・武家方寺院町家替地相渡候」とある。


相生町
あいおいまち

[現在地名]金沢市金石相生町かないわあいおいちよう金石北かないしきた一―四丁目

宮腰みやのこし町の北、大野おおの町との境に位置する。もと砂丘に広がる原野であったが、慶応二年(一八六六)永らく相剋を繰返してきた宮腰町と大野町が合併、金石町が成立したのを機に、両町の間の原野を開墾して町続きとし、「金石の交わり」を字義どおり実現することが図られた。同三年四月宅地の造成工事が終わり、新町名を旧宮腰・大野両町の新たな関係にちなんで相生町と名付けた。その後芝居小屋や飯盛女を置く料亭の建設が藩に申請され、許可されると大野町の料亭経営者が進出して料亭を設けた。


相生町
あいおいちよう

中京区竹屋町通衣棚西入・東入

東西に通る竹屋町たけやまち(旧大炊御門大路)を挟む両側町で、衣棚ころものたな通の東と西に分れて位置する。

平安京の条坊では、大炊御門町尻小路と大炊御門室町小路の間の大炊御門大路上にあたる。

町名は、筆描図系では、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「東大炊横丁」とみえ、以降変化はない(元禄末期洛中絵図・天明六年(一七八六)京都洛中洛外絵図では「大炊横丁」)。木版図系では、寛永一八年以前平安城町並図に「おゝいよこ町」、承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図に「かめや丁」、寛文五年(一六六五)刊「京雀」及び正徳・享保間京大絵図に「切付(や)丁」とあり、寛保初京大絵図・宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」では再び「大炊横丁」とある。


相生町
あいおいちよう

[現在地名]中央区相生町一―五丁目

東川崎ひがしかわさき町の北西、みなと川東岸で山陽道沿いに形成された岡方の町。明和六年(一七六九)の兵庫津絵図(鷲尾家蔵)にはみえず、天明八年(一七八八)の覚書(神戸市史資料)にもみえない。寛政八年(一七九六)の兵庫津各町家数人数書上(安田家文書)に町名がみえ家数六・人数二六で、前年より三軒増加していた。


相生町
あいおいちよう

[現在地名]加賀市大聖寺相生町だいしようじあいおいちよう

麻畠あさばたけの西にある東西の通りの両側を占め、もと上福田かみふくだ村の田地であったが、城下町の膨張につれ町場化した。天明六年(一七八六)の大聖寺絵図に町名がみえ、大工・畳屋・桶屋などの職人と直下屋・敷地屋など近郷の村名を屋号とした町家がある。


相生町
あいおいちよう

[現在地名]上野市相生町

三之町さんのまち筋と東大手門ひがしおおてもん通が交わる十字路より東側の地域。はじめ風呂屋ふろや町と称したが、延宝年中(一六七三―八一)現町名に変わった。あよいちょうとも発音する。初期には矢倉大右衛門下屋敷や中級武士の屋敷がほとんどで、町屋は十字路辺りの一部にすぎなかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の相生町の言及

【相生[市]】より

…兵庫県南西部,播磨灘に臨む市。かつては相生(おお)町と呼んでいたが,1939年那波(なば)町を編入した際,相生(あいおい)町と改称。42年市制,54年若狭野村,矢野村を編入。…

※「相生町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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