朝見郷(読み)あさみごう

日本歴史地名大系 「朝見郷」の解説

朝見郷
あさみごう

令制下の速見はやみ郡朝見郷(和名抄)系譜を引く宇佐宮領で、郷域は現別府市の南部地域にあたる。平安時代後期には国衙と宇佐宮に両属する半不輸の地であり、保元年中(一一五六―五九)の官物は「丁別米」三五町、宇佐宮召物加地子五〇九束(末松一五二束余・倉光三三八束余・節丸二八束。計算が合わないが史料のママ)であった。やがて宇佐宮仮宮造営料の未進の代として国司当郷田原たわら別符の両所の残りの分を宇佐宮へ寄進し不輸の地となった(宇佐大鏡)。鎌倉初期の宇佐宮仮殿地判指図(宇佐神宮蔵)では当郷は宇佐宮仮宮の若宮鳥居を負担している。建久八年(一一九七)のものと思われる豊後国図田帳宇佐宮弥勒寺領抜書案(到津文書)には「朝見郷八十余丁 宇佐宮領 弁済使宇佐邦輔 地頭宮沙汰」とある。


朝見郷
あさみごう

和名抄」所載の郷で、「豊後国風土記」の速見郡五郷の一つに該当すると考えられている。現在の別府市域にあたる。別府―島原推定地溝帯の東端に位置し、活発な地殻変動・火山活動の諸現象がみられた地区である。推定郷域には古墳時代後期の巨石による本格的横穴石室をもつ鬼の岩屋おにのいわや古墳のほか、太郎塚たろうづか次郎塚じろうづか古墳、浜脇はまわき地区の金比羅山こんぴらやま横穴墓群・平原ひらばる横穴墓群などが所在し、郷成立の前提として注目される。古代の速見郡衙や長湯ながゆ駅なども当郷に設置されたと考えられている。宝亀二年(七七一)の朝見断層の崖崩れや、貞観九年(八六七)鶴見つるみ山の噴火の被害を受けたことが六国史などに記載されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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