国指定史跡ガイド 「朝鮮通信使遺跡」の解説
ちょうせんつうしんしいせき【朝鮮通信使遺跡】
広島県福山市、岡山県瀬戸内市、静岡県静岡市清水区にある、江戸時代に朝鮮の外交使節団を接待した場所。指定名称は「朝鮮通信使遺跡 鞆福禅寺境内(ともふくぜんじけいだい) 牛窓本蓮寺境内(うしまどほんれんじけいだい) 興津清見寺境内(おきつせいけんじけいだい)」。朝鮮通信使は朝鮮国王が日本に派遣した使節で、室町時代に始まり、江戸時代には徳川将軍の代替わりごとに訪れ、鎖国を続けていた日本に外国文化をもたらした。朝鮮は、徳川政権にとって正式な外交関係のある唯一対等な国家で、通信使の通過経路はほぼ定まっており、対馬、壱岐、筑前藍島(福岡県糠屋郡新宮町相島)、長門赤間関(山口県下関市)、周防上関(山口県熊毛郡上関町)、安芸蒲刈島(広島県呉市)、備後鞆(福山市鞆町)、備前牛窓(岡山県瀬戸内市牛窓町)、播磨室津(兵庫県たつの市)、摂津兵庫(兵庫県神戸市兵庫区)、大坂までは水路をとり、大坂から京都へは淀川を遡上いた後、江戸まで陸路を通った。関係する遺跡のうち、往時の遺構や建造物などが良好に残る鞆の福禅寺境内と牛窓の本蓮寺境内および興津(静岡県静岡市興津清見寺町)の清見寺境内が、1994年(平成6)に国の史跡に指定、2007年(平成19)には鞆福禅寺境内の寺域北端が追加指定を受けた。福山藩が接待を行ったのが鞆の福禅寺。牛窓は岡山藩が接待するところであり、興津の清見寺はかつては清見潟を隔てて三保松原を望むことができ、鞆浦とともに通信使一行が絶景として賞讃したところである。鞆福禅寺境内へは、JR山陽新幹線ほか福山駅から鞆鉄バス「鞆の浦」下車、徒歩約5分。牛窓本蓮寺境内へは、JR赤穂線邑久(おく)駅から東備バス「本蓮寺」下車、徒歩約3分。興津清見寺境内へは、JR東海道本線興津駅から徒歩約15分。