木内キヤウ(読み)キウチ キョウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「木内キヤウ」の解説

木内 キヤウ
キウチ キョウ


肩書
参院議員(民主クラブ)

旧名・旧姓
旧姓=淡島

別名
筆名=木内 月上

生年月日
明治17年2月14日

出生地
東京・浅草

学歴
東京府立女子師範〔明治36年〕卒 東京府立女子師範専攻科〔昭和2年〕卒

経歴
明治36年東京隅田小学校訓導となり、城東小、十思小を経て昭和6年10月、板橋区志村第一小学校長となり、日本初の女性校長といわれた。この間全国連合女教員会副会長として女教員の地位向上に尽力、2年には汎太平洋婦人会議に出席した。校長在任中は男女共学を実施し、平等を貫いた。16年に辞任滝野川に木内学園を設立、鳩の家園長となった。戦後23年には全国区から参院議員に当選した。著書に「教育一路」がある。

没年月日
昭和39年11月7日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「木内キヤウ」の解説

木内 キヤウ
キウチ キョウ

明治〜昭和期の教育家 参院議員(民主クラブ)。



生年
明治17(1884)年2月14日

没年
昭和39(1964)年11月7日

出生地
東京・浅草

旧姓(旧名)
淡島

別名
筆名=木内 月上

学歴〔年〕
東京府立女子師範〔明治36年〕卒,東京府立女子師範専攻科〔昭和2年〕卒

経歴
明治36年東京隅田小学校訓導となり、城東小、十思小を経て昭和6年10月、板橋区志村第一小学校長となり、日本初の女性校長といわれた。この間全国連合女教員会副会長として女教員の地位向上に尽力、2年には汎太平洋婦人会議に出席した。校長在任中は男女共学を実施し、平等を貫いた。16年に辞任、滝野川に木内学園を設立、鳩の家園長となった。戦後23年には全国区から参院議員に当選した。著書に「教育一路」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「木内キヤウ」の意味・わかりやすい解説

木内キヤウ
きうちきょう
(1884―1964)

教育家。東京浅草で奇人として有名な文学者淡島寒月(1859―1926)、なるとの間に生まれる。東京府立女子師範学校、同校専攻科卒業後、都内隅田、城東、十思(じっし)の各小学校訓導を歴任。この間木内辰三郎と結婚。1931年(昭和6)から1941年まで板橋区志村第一小学校に日本初の女校長として就任。辞任後、東京滝野川に木内学園を創設、鳩(はと)の家の園長となる。戦前は女教員地位向上のために尽力。第二次世界大戦後、1947年全国区参議院議員に当選した。

[吉見周子]

『木内キヤウ著『教育一路』(1941・日本文化研究会)』『木内キヤウ著『教育一路/汎太平洋婦人会議に列して――伝記・木内キヤウ』(1989・大空社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木内キヤウ」の解説

木内キヤウ きうち-キョウ

1884-1964 明治-昭和時代教育者
明治17年2月14日生まれ。昭和6年東京の志村第一小学校校長となり,全国初の女性校長として女子教員の地位向上につくす。のち木内学園を創立。22年参議院議員。昭和39年11月7日死去。80歳。東京出身。東京府女子師範(現東京学芸大)卒。旧姓は淡島。著作に「教育一路」。

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367日誕生日大事典 「木内キヤウ」の解説

木内 キヤウ (きうち きょう)

生年月日:1884年2月14日
明治時代-昭和時代の教育家;政治家。参議院議員;鳩の家園長
1964年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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