日本歴史地名大系 「木前庄」の解説
木前庄
きのさきのしよう
- 兵庫県:豊岡市
- 木前庄
木崎・城崎とも書く。古代の城崎郡城埼郷(和名抄)のうち国司
被
妨事」とみえ、近江日吉社領でもあった。建久二年(一一九一)一〇月の長講堂領目録(島田文書)に「木前庄」とみえ、元三雑事(御簾三間・御座四枚・砂三両)、三月御八講砂二両、正月料の牛飼衣服(上絹二疋・綿二〇両・六丈布二反)、一〇月料の御更衣畳三枚(紫)、一一月中旬内五ヵ日の門兵士三人(四足門)の負担が記される(ほかに移花一〇枚は「不勤之」とする)。長講堂とは後白河法皇が元暦元年(一一八四)頃、院の御所
一方、建保二年(一二一四)二月一七日付の平親範置文(洞院部類記)には、親範は父祖が建立した平等寺・尊重寺・護法寺の三寺を合せた一堂を京都洛北
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報