朝日日本歴史人物事典 「木室卯雲」の解説
木室卯雲
生年:正徳4(1714)
江戸時代の狂歌・噺本作者。名は朝濤,通称は新七郎,別号は白鯉館。幕臣で,初め江戸番町,のちに下谷に住んだ。御徒目付,小普請方,御広敷番頭などを歴任。若いころ,慶紀逸に俳諧を学び,秀国編の『江戸の幸』(1774)には肖像と句が載る。狂歌をたしなみ,明和2(1765)年京都出役の折には栗柯亭木端や九如館鈍永と交わる。その腕前は,明和5年に「色くろくあたまの赤きわれなればばんの頭になりそうなもの」と詠んで,御広敷番の頭に昇進したと伝えられるほどであった。安永5(1776)年に,それまでの狂歌を子息の藍明が集めて『今日歌集』と題して刊行した。四方赤良(大田南畝)が「狂歌をば天井までもひびかせて下谷にすめる翁とはばや」と詠んで卯雲のもとを訪れてからは,天明狂歌壇との交際も始まり,天明3(1783)年の『万載狂歌集』には24首入集している。江戸狂歌以前からの狂歌作者で天明調に参加した大長老といえよう。また,噺本『鹿の子餅』(1772)の作者としても知られている。<参考文献>浜田義一郎「白鯉館卯雲考」(『江戸文芸攷』)
(園田豊)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報