木村駒子(読み)キムラ コマコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「木村駒子」の解説

木村 駒子
キムラ コマコ


職業
女優 社会運動家

旧名・旧姓
黒瀬

生年月日
明治20年

出生地
熊本県

学歴
福岡英和女学校卒,青山女学院

経歴
3歳の頃から踊りを習う。女優や女医を目指すが、学資を援助してもらっていた資産家の甥で、米国のバークレー大学でインド心霊術を研究して帰国した木村秀雄と知り合い結婚。日本心霊研究会を設立して催眠術興行などを行い、イマジネーションと霊術を融合した“観自在宗”を唱道して催眠術療法にも携わった。一方、大正2年に西川文子や宮崎光子たちと新真婦人会をつくり、「新真婦人」誌を創刊、平塚らいてうや伊藤野枝の「青踏」誌に対抗する婦人運動を始め、「熊本評論」などで婦人解放を叫んだ。3年浅草で女優に転じ、“社会主義の女弁士の千里眼の女優”として大当たりをとり、6年には渡米してブロードウェーにも出演。以後、約10年に渡って滞在し、化学者の高峰譲吉や社会主義者の片山潜らと交友を持った。14年帰国。のち芸術大学やレビュー団などを興した。著書に「舞踊芸術教程」。

没年月日
昭和55年 7月 (1980年)

伝記
自由人の軌跡近代文学思想 大和田 茂,岡野 幸江,藤田 富士男,前田 和敏 著(発行元 武蔵野書房 ’93発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「木村駒子」の解説

木村 駒子
キムラ コマコ

大正・昭和期の女優,社会運動家



生年
明治20(1887)年

没年
昭和55(1980)年7月

出生地
熊本県

旧姓(旧名)
黒瀬

学歴〔年〕
福岡英和女学校卒,青山女学院

経歴
3歳の頃から踊りを習う。女優や女医を目指すが、学資を援助してもらっていた資産家の甥で、米国のバークレー大学でインド心霊術を研究して帰国した木村秀雄と知り合い結婚。日本心霊研究会を設立して催眠術興行などを行い、イマジネーションと霊術を融合した“観自在宗”を唱道して催眠術療法にも携わった。一方、大正2年に西川文子や宮崎光子たちと新真婦人会をつくり、「新真婦人」誌を創刊、平塚らいてうや伊藤野枝の「青踏」誌に対抗する婦人運動を始め、「熊本評論」などで婦人解放を叫んだ。3年浅草で女優に転じ、“社会主義の女弁士の千里眼の女優”として大当たりをとり、6年には渡米してブロードウェーにも出演。以後、約10年に渡って滞在し、化学者の高峰譲吉や社会主義者の片山潜らと交友を持った。14年帰国。のち芸術大学やレビュー団などを興した。著書に「舞踊芸術教程」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木村駒子」の解説

木村駒子 きむら-こまこ

1887-1980 大正-昭和時代の社会運動家,舞台女優。
明治20年7月29日生まれ。大正2年西川文子らと新真婦人会を結成し,「青鞜(せいとう)」に対抗して「新真婦人」を刊行した。のち浅草新劇に出演,ニューヨークでも日本舞踊を公演した。昭和55年7月10日死去。92歳。熊本県出身。青山女学院中退。旧姓は黒瀬。著作に「舞踊芸術教程」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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