木津渡(読み)きづのわたし

日本歴史地名大系 「木津渡」の解説

木津渡
きづのわたし

木津川北岸の上狛かみこま(現山城町)と同南岸の大路おおじを結ぶ渡。大和と山城・近江・伊賀などを結ぶ街道の渡しであったため、古代以来利用度が高かった。木津渡として名がみえるのは、奈良興福寺の「東院毎日雑々記」応永一三年(一四〇六)五月四日条などが早いが、古くは「泉河渡」(三代実録)とよばれていたらしい。

渡し口は近世初頭の大和街道敷設の頃を境として、多少位置が下流に移動したとみられる。古代の渡し口は「三代実録」貞観一八年(八七六)三月三日条に「泉河渡口、正当寺門」と記され、寺門とは木津川北岸の泉橋せんきよう(現山城町)寺門のことなので、泉橋寺門前辺の河岸であったと考えられる。この場所は古代―中世を通じて利用されたと思われるが、天平年中(七二九―七四九)に行基が架設したいずみ大橋があった所でもある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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