木船村(読み)きぶねむら

日本歴史地名大系 「木船村」の解説

木船村
きぶねむら

[現在地名]大町市大字やしろ 山下やました 木舟

現大町市の中央部で、東の中山なかやま山地から流下する鳥屋とや沢やみやいり沢のもたらした小扇状地が村居となっており、西には仁科氏の館のあった館之内たてのうち集落を望む。

木船の名は、かつてこの村の中にあった貴船きぶね神社の名に由来するものであり、その貴船神社は明らかに京都の貴船神社を勧請したもので、仁科氏によってもたらされたと推定される。ただ貴船神社のあった位置は原初のものでなく、ほかの位置にあった貴船神社の祭免田へ移し祀ったものと考えられる。現在は北隣の常光寺じようこうじ集落の山下やました神社へ合祀されている。なお、みやいり沢の奥には富士浅間ふじせんげん社がかつて存在したが、その神社へ慶長一九年(一六一四)、松本藩主小笠原秀政は「木船仙現」あてとして禁制札(「旧記写」栗林士郎氏蔵)を交付している。


木船村
きぶねむら

[現在地名]浜北市貴布祢きぶね

長上ながのかみ郡に所属。平口ひらくち村の東、小松こまつ村の北東馬込まごめ川上流の左岸に位置する。松平忠頼領郷村帳に木舟村とみえ、高一七二石余、田五町九反余・畑二一町余、ほかに長泉ちようせん(現臨済宗方広寺派)領二石。寛永二年(一六二五)九月、旗本近藤秀用が木船村の高三四石余を与えられている(記録御用所本古文書)正保郷帳では幕府領、畑方一七二石余、長泉寺領二石。寛永二年に木船新田を分村していたが、公的には正保四年(一六四七)以降に木船新田村を分村し、元禄郷帳では高三〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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