日本歴史地名大系 「木越村」の解説 木越村きごしむら 新潟県:五泉市木越村[現在地名]五泉市木越、中蒲原(なかかんばら)郡村松(むらまつ)町木越早出(はいで)川左岸の自然堤防上に位置し、北は五十嵐(いからし)新田、南は石曾根(いしぞね)村(現村松町)に接する。中世には菅名(すがな)庄に属し、字馬場(ばんば)(現村松町)には東西・南北とも約一二〇メートルの方形の土塁に囲まれた館跡がある。口碑によれば承安年間(一一七一―七五)頃に城資長の弟資茂が居館を築造した地と伝え、小字に殿小路(とのこうじ)・矢倉下(やぐらした)が残る。また字高内(たかね)(現村松町)に円通寺(えんつうじ)という小字があるが、ここは室町後期の蒲原郡段銭帳(米沢市立図書館蔵)に載る円通寺の旧跡で、同寺は五智(ごち)(現上越市)にあった円通寺とかかわりをもち、上総大守長尾徳叟の退隠の地であった。 木越村きごしむら 石川県:金沢市旧河北郡地区木越村[現在地名]金沢市木越町・木越一―三丁目大浦(おおうら)村の東、金腐(かなくさり)川下流右岸の河北潟縁辺に位置。天正一四年(一五八六)一月二二日前田利家が黒津舟(くろつぶね)権現(現内灘町)の再興を命じた村々に「木越村」も含まれていた(「前田利家印判状写」黒津舟神社文書)。正保郷帳によれば高一千四六九石余、田方九一町八反余・畑方六町余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高一千四五七石、免六ツ五歩、小物成は鯉鮒役二匁(退転)、猟船櫂役二〇匁五分(うち五匁五分が出来)であった(三箇国高物成帳)。 木越村きごしむら 三重県:度会郡度会町木越村[現在地名]度会町小川(おがわ) 木越一之瀬(いちのせ)川と西山(にしやま)川の合流地段丘上にある。北・西は西山川、東・南は一之瀬川と山地。一之瀬川対岸は火打石(ひうちいし)村。西方の奥河内(おくかわち)村とともに小川村とよばれた。建久六年(一一九五)九月二一日の二所太神宮神主解案(神宮雑書)に外宮領として「木越御薗」がみえる。 木越村きごしむら 新潟県:中蒲原郡村松町木越村[現在地名]村松町木越、五泉市木越⇒木越村(五泉市) 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by