末野窯跡群
すえのようせきぐん
秩父山地の北東端に位置し、荒川左岸の山地一帯の山麓に分布。標高は一五〇―二〇〇メートル。現在、分布調査によって約九〇基の窯跡が確認されているが、実態はその数倍にもなるものと推定されている。丘陵鞍部にある登窯は末野窯跡として県指定史跡。窯跡は一六の支群に分けられ、山地西麓の第一支群が七世紀末と最も古く、八世紀後半から急増、九世紀に最盛期を迎え、一〇世紀には衰退している。当窯跡群では武蔵国分寺(現東京都国分寺市)に供給された瓦も焼かれ、現在確認されている郡名瓦は幡羅・榛沢・那珂・秩父・多摩の五郡で、武蔵四大窯跡群のなかでは最も少ない。
末野窯跡群
すえのようせきぐん
[現在地名]上中町末野
末野集落の山麓一帯に広がる奈良―平安時代中頃の須恵器製作の窯跡群。いわゆる登窯の分布する地籍は雨坂・四反田・儀信田・北赤松・大門・百々・木谷の七ヵ所に及ぶ。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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