デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多忠国」の解説 本多忠国 ほんだ-ただくに 1666-1704 江戸時代前期の大名。寛文6年生まれ。常陸(ひたち)(茨城県)額田(ぬかた)藩主松平頼元(よりもと)の次男。本多政長(まさなが)の養子となり,延宝7年大和(奈良県)郡山(こおりやま)藩主本多家(定通系政朝(まさとも)家)3代となるとともに,3万石を加増されて陸奥(むつ)福島にうつる。福島城新築を計画中,天和(てんな)2年播磨(はりま)(兵庫県)姫路へ転封となり,姫路藩主本多家第2次初代。15万石。宝永元年3月21日死去。39歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の本多忠国の言及 【福島藩】より …陸奥国信夫郡(福島県)福島に藩庁を置いた譜代中小藩。1679年(延宝7)大和国郡山から本多忠国が15万石で入部し成立。忠国はかつて伊達氏の本拠であった伊達郡万正寺村(現,桑折(こおり)町)に築城を計画したが,82年(天和2)播磨国姫路に転封となった。… ※「本多忠国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by