日本歴史地名大系 「本所相生町一丁目」の解説 本所相生町一丁目ほんじよあいおいちよういつちようめ 東京都:墨田区旧本所区地区本所相生町一丁目[現在地名]墨田区両国(りようごく)二丁目南本所元(みなみほんじよもと)町の東にあり、南の竪(たて)川に沿って東西に続く片側町。同川対岸は本所弁天(ほんじよべんてん)門前、北は本所大徳院(ほんじよだいとくいん)門前・本所松坂(ほんじよまつざか)町一丁目と武家地。もとは明地であったが、元禄二年(一六八九)頃からしだいに拝領地となり、町屋となった。町名は祝賀の意をもって名付けたと伝える。町内間数は東西の表間口京間八六間余・裏幅八六間余、南北が表裏とも二〇間。西方に竪川の一之(いちの)橋(一ッ目橋)が架かっていたことから一ッ目(ひとつめ)と俗称された。拝領町屋敷は表坊主青野伝斎屋敷など一〇ヵ所。享保七年(一七二二)以降公役銀を納めた。竪川に沿って間口八五間余・河岸行八間の河岸地があり、土蔵、木挽小屋二ヵ所、船大工小屋などがあった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by