デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本松斎一得」の解説
本松斎一得(2代) ほんしょうさい-いっとく
天明4年生まれ。初代本松斎一得について浅草遠州流をまなび,松岳斎一景を名のる。文政2年一得をつぎ,2代となる。幕臣だったが,隠居して華道に専念,11代将軍徳川家斉(いえなり)の前でしばしば花をいけた。嘉永(かえい)7年6月14日死去。71歳。江戸出身。姓は佐藤。通称は文次郎。別号に浄鑑。
本松斎一得(4代) ほんしょうさい-いっとく
文化11年生まれ。3代本松斎一得に師事して遠州流華道をまなぶ。得糸,一糸,2代松園斎一鶴をへて,文久3年4代一得をつぐ。明治12年一得を5代にゆずり,本乃松翁と号した。明治16年2月14日死去。70歳。姓は安田。名は高道。通称は保次郎,源助。著作に「瓶花類聚」。
本松斎一得(初代) ほんしょうさい-いっとく
享保(きょうほう)3年生まれ。江戸浅草常林寺の住職。初代春秋軒一葉にまなぶ。枝をたわめる技術に工夫をこらして浅草遠州流をおこした。文政3年1月1日死去。103歳。江戸出身。法名は日寛。