日本歴史地名大系 「本沢村」の解説 本沢村ほんざわむら 静岡県:浜北市本沢村[現在地名]浜北市本沢合(ほんざわい)豊田(とよだ)郡に所属。西美園(にしみその)村の北、天竜川と馬込(まごめ)川に挟まれた沖積平野に立地する。江戸時代の支配領主の変遷は中条(なかじよう)村に同じ。松平忠頼領郷村帳に本佐村とみえ、高一三石余、畑四町余。正保郷帳では畑方一四石余。延宝五年(一六七七)の浜松町村家数高間尺帳では高一四石余、家数一一。天保郷帳では高五四石余。延宝元年柴本(しばもと)村枝郷の蟹沢(かにさわ)村との間で河原の新開畑をめぐって争いが起き、役人の見聞を受けて村境を確定し、新開畑を入会とした。 本沢村ほんざわむら 埼玉県:比企郡吉見町本沢村[現在地名]吉見町本沢松崎(まつざき)村の東に位置し、集落は旧荒川筋の自然堤防上に発達。地内に弘長元年(一二六一)の板碑がある。田園簿では田高六五石余・畑高八三石余、幕府領。日損場との注記がある。元禄郷帳では高三二〇石余。「風土記稿」成立時には旗本渡辺領。同書によると渡辺領となったのは宝暦四年(一七五四)のことで、以後同領で幕末に至ったと思われる(「郡村誌」など)。検地は慶長年間(一五九六―一六一五)伊奈忠次により行われ、寛文一二年(一六七二)にも新田検地が、延宝六年(一六七八)には本検地が幕府代官中川氏により行われた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by