本沼村(読み)もとぬまむら

日本歴史地名大系 「本沼村」の解説

本沼村
もとぬまむら

[現在地名]白河市本沼

久田野くだの村の南、阿武隈川高橋たかはし川に挟まれた丘陵に位置する。白河城下から水戸街道二子塚ふたごづか新田村(現中島村)に通じる街道とせき街道が当村で交差する。西側は山で三方水田が広がる。村の長さは東西六町二五間、二子塚新田村に至る街道の中央に掘割があった。端村のあしくち本村の東方山間にある。康永二年(一三四三)と推定される一一月二八日の結城親朝譲状案(仙台結城文書)白河庄の内として「本馬」とみえ、他の郷村とともに子朝常に譲られている。貞治三年(一三六四)結城白川朝胤が伝領していた白河庄のうち片見かたみ(現東村)を名字の地として同広朝が要求し、その替地として同庄「本沼村」の田地が朝胤方に譲り渡された(同年八月一三日「結城顕朝書下」大館市立図書館蔵栗盛氏旧蔵文書)


本沼村
もとぬまむら

[現在地名]益子町本沼

南西部は八溝やみぞ山地に囲まれ、北東部は同山地に続く台地上にある。この台地上から平安時代の遺跡が発見され、昭和五四年(一九七九)の発掘調査で四軒の住居跡が検出された(本沼遺跡)。また西側山麓では窯跡群が確認されている。東は小泉こいずみ村・うめうち村、西は高岡たかおか(現真岡市)、南は常陸国大泉おおいずみ(現茨城県西茨城郡岩瀬町)。中央を常陸国門毛かどげ(現同上)への道が南へ通る。慶安郷帳に村名が見え、田一一二石余・畑三五石余、幕府領。寛文二年(一六六二)以降旗本曲渕領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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