20世紀日本人名事典 「本田種竹」の解説
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…漢詩ではまず小野湖山,岡本黄石,大沼枕山(ちんざん)らが現れ,陸游,蘇東坡(蘇軾(そしよく)),黄山谷(黄庭堅)らの宋詩を重んじて詩壇を指導した。ついで現れた森春濤(しゆんとう)・森槐南(かいなん)父子は婦女子の恋愛の感情を詠んだ香奩(こうれん)体の詩や,袁枚(えんばい),趙翼,張船山(張問陶),王漁洋(王士禎)らの清詩をさかんに鼓吹し,本田種竹らとともに明治詩壇(ことに後期)における清詩の流行をもたらした。槐南の門からは野口寧斎が出て詩名をうたわれたが,当時これらの人々と独立して活躍していたのが成島柳北,長三洲らである。…
…藩学養賢堂に学んだのち上京し,1889年新聞《日本》の創刊に加わり時事を風刺する〈評林〉詩欄を担当して注目を集め,同紙廃刊後は《日本及日本人》に拠ってこの欄を続けた。90年9月,本田種竹らと森槐南を盟主とする詩社星社を復興し漢詩人としての地位を確立したが,種竹・槐南らの没後は大正・昭和にかけての漢詩壇の中心となった。《大正詩文》《斯文》に寄稿したほか《昭和詩文》を主宰し,1937年には芸術院会員に選ばれた。…
※「本田種竹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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