本長寺(読み)ほんちようじ

日本歴史地名大系 「本長寺」の解説

本長寺
ほんちようじ

[現在地名]飯豊町椿

椿つばき集落南西にある。豊国山と号し、法華宗本尊は十界大曼荼羅。田辺家代々勤書(田辺文書)天明八年(一七八八)の米沢御用日記(小川文書。以下両書による場合は典拠を省略)などによれば、もと上杉家臣で越後長岡藩の大庄屋を勤めていた越後漆山うるしやま(現新潟県西蒲原郡巻町)の田辺休弥は、米沢藩より弟田辺玄徳(医師)を通じて荒廃田畑復興のための移住入植者の仲介を依頼された。熱心な法華門徒であった休弥は長岡藩領内の同宗門徒を募って斡旋を開始すると同時に、法華寺院の建立を米沢藩に願出、天明六年に許可された。しかし、当時米沢藩では新寺院の建立を認めておらず、ようやく寛政三年(一七九一)になって当地の廃寺大法だいほう(法華宗)を復興するというかたちで開創された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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