李上佐(読み)りじょうさ(その他表記)(R)I Sang-jwa

改訂新版 世界大百科事典 「李上佐」の意味・わかりやすい解説

李上佐 (りじょうさ)
(R)I Sang-jwa

朝鮮李朝中期の中宗~明宗朝(1506-67)ころに活躍した李朝の代表的画家生没年不詳。字は公祐,号は学圃私奴婢の出であったが,中宗の恩遇を受けて図画署の画員となり,1544年(中宗38),劉向著《列女伝》翻刻の際に挿図を描き,中宗が没した翌年(1545)には王の肖像を描いた。特に山水人物をよくし,作風は馬遠風な南宋院体画影響を強く感じさせる。代表作に《松下歩月図》(ソウル国立中央博物館)が知られる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「李上佐」の意味・わかりやすい解説

李上佐
りじょうさ
Yi Sangjwa

朝鮮,李朝前期の画家。全州の出身。字は公祐,号は学圃。士人の奴であったが,幼少より画技にすぐれていたため中宗に取立てられ,16世紀初期に図画署の画員となった。山水,人物を得意とし,安堅姜希顔 (きょうきがん) らとともに李朝前期を代表する画家として著名画風は中国南宋の馬遠,夏珪の作風を受継ぐ。代表作『松下歩月図』 (韓国国立中央博物館) ,『暇閑眠図』『達磨図』。

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百科事典マイペディア 「李上佐」の意味・わかりやすい解説

李上佐【りじょうさ】

朝鮮,李朝の中宗・明宗朝(1506年―1567年)の画家。生没年不詳。士人の奴であったが,中宗に画才を認められ,図画署に登用された。中宗や功臣の肖像や山水を描いたが,その山水画《松下歩月図》には馬遠形式の影響が著しい。

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