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李密 りみつ Li Mi

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

李密
りみつ
Li Mi

[生]開皇2(582)
[没]武徳1(618).12.30.
中国,隋末の群雄の一人。遼東襄平 (遼寧省朝陽県) の人。字は玄邃 (すい) 。西魏の八柱国の一人李弼 (ひつ) の曾孫。楊素の子楊玄感と親しく,玄感が反隋の挙兵をすると幕下に参じたが,玄感が敗れ一時捕われてから逃走し,ついに東郡 (河南省滑県) の賊翟譲 (てきじょう) の軍に投じた。

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世界大百科事典 第2版の解説

りみつ【李密 Lǐ Mì】

582‐618
中国において,支配階級から農民反乱側に投じ,反隋の先頭に立った隋末の群雄。遼東襄平(遼寧省朝陽)の人。西魏の柱国李弼(りひつ)を曾祖父にもつ関隴(かんろう)貴族の出身。字は玄邃。文武にすぐれ,天下救済の大望を抱き,眼光鋭かったという。恩蔭により左親侍(宿衛官)につけられるが辞任し,読書に没頭,とくに兵書を好んだ。黄牛に乗り,《漢書》の項羽伝を読みふけっていたエピソードをもつ。613年(大業9)深交のあった楊玄感が挙兵すると,いち早く参加した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

李密
りみつ
(582―618)

中国、隋(ずい)末群雄の1人。初め煬帝(ようだい)の左親侍(禁衛隊の官)となったが、辞職して読書にふけり、大学者にも学んだ。のち隋の大官の楊素(ようそ)に認められ、楊素の長子楊玄感(ようげんかん)の親友となった。楊玄感の反乱のときその謀主となり、敗れて捕らえられたが、脱走亡命。隋末の群雄を歴訪して抱負を述べたが認められず、最後に(てきじょう)の軍に投じ、まもなく譲にかわってその集団を握り、李淵(りえん)が唐朝を興したとき、最大の反乱集団となっていた。洛陽(らくよう)の王世充(おうせいじゅう)を攻撃したが失敗し、618年唐朝に降伏したが、その待遇を不満として、背いて殺された。[布目潮

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