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王世充 おうせいじゅうWang Shi-chong; Wang Shih-ch`ung

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

王世充
おうせいじゅう
Wang Shi-chong; Wang Shih-ch`ung

[生]?
[没]武徳4(621)
中国,隋末唐初の群雄の一人で鄭国 (ていこく) 皇帝 (在位 619~621) 。字は行満。もと西域の胡人で,煬帝 (ようだい) に取入って信任を得たが,隋の余命がいくばくもないことを察してひそかに勢力を結集し,一方では反乱を鎮圧して名をあげた。煬帝が殺されると,その一族楊 侗 (ようとう) を皇帝に立てたが,不和となると専権をふるい,楊 侗を廃して鄭国を建て,帝位につき,楊 侗を毒殺した。その支配は過酷をきわめたため人心を失い,やがて李世民 (のちの太宗 ) に攻められて捕えられ殺された。

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世界大百科事典 第2版の解説

おうせいじゅう【王世充 Wáng Shì chōng】

?‐621?
中国,隋末の群雄の一人。本姓は支氏。長安付近に来住した西域胡人の子孫で,王は祖母の再婚先の姓である。王世充は兵法・卜占・暦法などに長じ,煬帝(ようだい)の寵臣となった。反乱軍討伐のため洛陽に駐屯,煬帝が殺されて帝の孫越王侗が洛陽に即位すると軍事権を握り,619年(皇泰2),楊侗を廃して鄭国を建てた。当時華北はおおむね唐・鄭・夏(竇建徳(とうけんとく))に三分され,鄭は夏と結んで唐に当たったが,李世民(太宗)に攻め落とされ,長安に送られた後殺された。

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