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李翺 りこうLi Ao

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

李翺
りこう
Li Ao

[生]大暦7 (772)
[没]会昌1 (841)
中国,唐の儒学者。字は習之。貞元14(798)年進士。国子博士,戸部侍郎,山南東節度使などを歴任。韓愈に学び文名が高く『李文公集』(18巻)が伝わる。仏教思想を摂取して心性論に新機軸を出し,宋学源流として思想史上注目される。

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世界大百科事典 第2版の解説

りこう【李翺 Lǐ Áo】

772‐841
中国,唐の散文作家。字は習之。隴西(甘粛省)の人。あるいは趙郡(河北省)の人ともいう。幼少のころから勉学にはげみ,韓愈について文章を学んで古文運動に参加した。その文章は〈渾厚(こんこう)〉と評され,当時推重された。官僚としては中書舎人などを歴任するが,さらに顕官を望んで得られず,山南東道節度使在職中に卒し,文と諡(おくりな)された。代表作は《復性書》で,儒教思想史あるいは唐代思想史上の重要文献。ほかに《論語筆解》《五木経》の著があり,《李文公集》18巻が伝わる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説


りこう
(772―841)

中国、唐代の学者。趙(ちょう)郡(河北省寧晋(ねいしん)県)の人。字(あざな)は習之(しゅうし)。貞元(ていげん)の進士。校書郎を振り出しに、累進して国子博士、史館脩撰(しゅうせん)となる。性格は厳しく硬骨漢で、論じては絶対に屈しなかった。顕官にあげられないことで鬱々(うつうつ)としていたとき、宰相李逢吉(りほうきつ)(758―835)の過失を知り、彼を面責したため左遷されて廬(ろ)州刺史(さし)となった。のち歴遷して山南東道節度使となって死去した。李(りこう)は韓愈(かんゆ)の姪(めい)の婿であり、また弟子でもあるので、その学問・文章はみな韓愈の影響の下にあったが、彼の『復性書』に述べた性説は思想史上重要なものである。その要は、人間には性と情があり、性は善であるが、これを惑わすものが情で、情とは性が動いて起きるものなので静に努めることを重視し、これを復性という。この考えは宋(そう)代程子(ていし)の『定性書』の先駆となった。著作に『李文公集』18巻などがある。[疋田啓佑]
『武内義雄著『中国思想史』(1936・岩波全書) ▽狩野直喜著『中国哲学史』(1953・岩波書店)』

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世界大百科事典内の李翺の言及

【復性書】より

…韓愈の弟子である唐の李翺(りこう)(772‐841)の著した論文。その文集《李文公文集》所収。…

※「李翺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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