中国、宋代(960~1279)におこった学術思想の総称であるが、とくに、仏教、道教の影響を受けて復興された新儒教(Neo-Confucianism)をさし、なかでも、その集大成である朱子学のことをいう場合が多い。
儒教は、漢から唐にかけて経典解釈学が中心となったため思想的には沈滞化した。一方、仏教や道教は独自の教理組織を充実し、人々の思想的欲求を満たし、知識人必須(ひっす)の教養となった。こうした風潮のなかから道・仏を排除し、伝統教学である儒教を民族の正統思想として復興させたのが宋学である。その遠き先駆として中唐の韓愈(かんゆ)や李翺(りこう)がいる。宋学は従来の五経(ごきょう)中心から四書(ししょ)中心へと進み、経典の自由解釈の学風など、新時代の思想的要請にこたえたが、とくに倫理学、歴史学のみでなく、宇宙論、存在論、形而上(けいじじょう)学などを包摂して、道・仏に対抗しうるものを構築した点に特色がある。宋学の始祖は北宋の周敦頤(しゅうとんい)で、その門に程顥(ていこう)、程頤(ていい)が出て宋学の基礎ができた。范仲淹(はんちゅうえん)、欧陽修(おうようしゅう)、胡瑗(こえん)、孫復(そんぷく)、石介(せきかい)はその先導であり、同代に邵雍(しょうよう)、司馬光(しばこう)、王安石(あんせき)、蘇軾(そしょく)、張載(ちょうさい)らが輩出した。南宋の朱子(朱熹(しゅき))は、周、程の学を中心に、北宋諸儒の学術を取捨して宋学を集大成したが、さらに仏教とくに禅学、陸象山(りくしょうざん)心学、永嘉永康(えいかえいこう)の功利の学などと対決し、広大にして精緻(せいち)な学問体系(朱子学)を樹立した。宋学(朱子学)は、元、明(みん)、清(しん)に至るまで主流的官学アカデミーとして君臨し、東アジアに広範な影響を与えた。
[福田 殖]
『楠本正継著『宋明時代儒学思想の研究』(1962・広池学園出版部)』▽『友枝竜太郎著『朱子の思想形成』(1969・春秋社)』▽『岡田武彦著『宋明哲学序説』(1977・文言社)』▽『諸橋轍次他著『朱子学大系第一巻 朱子学入門』(1974・明徳出版社)』
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中国,宋代に興った学問文化の総称。没落した貴族に代わって,新しい時代の担い手となった士大夫によって生み出されたもの。一口に宋学と言っても多様であるが,その底を流れる共通の傾向は以下のようにまとめることができる。(1)理想主義,(2)主知主義,(3)内省主義,(4)人間性への信頼にもとづく楽天主義,(5)経典に対する自由な批判精神,(6)宇宙的感覚,(7)根源的なものへの問いかけ,(8)倫理的潔癖さ,(9)社会的連帯感と責任感。そのうち,正統(儒教)と異端(仏教,道教)とを峻別し,〈修己〉と〈治人〉とを統一して儒教の復興を企てた人々--張載(横渠(おうきよ)),程顥(ていこう)(明道),程頤(ていい)(伊川)など--をとくに道学派と呼ぶ。有力な宋学者は胡瑗(こえん),欧陽修,司馬光,王安石,蘇軾(そしよく)(東坡)(以上北宋),陸九淵(象山(しようざん)),葉適,陳亮,王応麟(以上南宋)など。南宋の朱熹(しゆき)(子)は道学者であるが,その幅広い活躍は宋学の集大成者の名にふさわしい。彼らの伝記と業績は《宋元学案》にまとめられている。
→朱子学
執筆者:三浦 国雄
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宋代に成立した思弁的な宇宙論哲学,またその実践倫理。源流は唐の韓愈(かんゆ)以来の儒・仏・道3教の調和,儒教的人倫強化の思潮にあり,宋学の先駆は名節と家族道徳を重んじた范仲淹(はんちゅうえん)である。その後,宋学の祖周敦頤(しゅうとんい)が『易経』(えききょう)と『中庸』に老荘・道教思想を加えて仏教哲学で調整した。その後張載(ちょうさい),程頤(ていい),程顥(ていこう)が発展させた本体論・心性論の系譜と,欧陽脩(おうようしゅう),司馬光が大義名分論・経典批判に立って唱えた歴史主義とが,朱熹(しゅき)によって集大成され,宋学が完成した。宋学は宇宙の理法が人間の則るべき規範であり,天与の道徳性の実現が人倫の道であるとし(性理学),道統を重んじ四書によって儒教精神を発揮し(道学),仏教が否定した人倫と礼とを回復して新たな政治・社会体制に思想的支柱を与えるものであった。
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…歴史・社会の進展から〈礼教〉体制の危機がおそうとき,儒教は〈経書〉解釈の枠を広げ,仏教,道教などを自己の中に組み入れて〈礼教〉体制からの士人の離反を防いだ。宋代(10世紀)以後,隋・唐貴族制の解体に代わって科挙を足場に新興階級が官人支配層として登場してくると,統一王朝の国内・国際的な政治・経済上の緊張状態のなかで,国家主義的〈名分〉思想や正統論を展開させ,仏教・道教の流行による思想的危機感から,道義心を養い古聖の道を主体的に体得しようとする新儒学New Confucianism,すなわち宋学が生まれた。これは〈三綱五倫〉と〈五常〉とを〈理〉(天理)と宣言し,〈気〉による万物(自然と人)の差異を説き,家父長制的〈礼教〉体制を〈理気〉概念で体系づけ,洗練された天人合一思想,朱子学となって完成した。…
…これを士大夫の側からいえば,科挙は原則として万人に開かれていたから,家柄や門閥といった生まれつきよりも,個人の後天的な能力によって社会的地位が決まる時代が到来したわけである。このような士大夫によって生み出された,新しい文化の総体をひと口に〈宋学〉と呼ぶ。そのなかで,人間と社会のありうべき姿をきまじめに追求しようとした人々が道学派にほかならない。…
…ただ唐の中期に安禄山の乱が生じてからは,知識人の間にも危機意識が芽生え始め,儒教精神の復興の必要を唱える者も現れた。韓愈(退之)が仏教の排斥を叫び,その弟子の李翺(りこう)が復性・主静を説いて宋学の先駆となったのは,その一例である。しかしそれらはまだ胎動の域を脱しなかった。…
…ここに哲学的基礎をそなえた新儒学への要望が高まった。このような機運は,前半期にあたる北宋の中ごろから盛んになり,周敦頤(しゆうとんい)(濂渓),邵雍(しようよう)(康節),張載(横渠),程顥(ていこう)(明道),程頤(ていい)(伊川)などにより,いわゆる宋学の成立を見るのである。しかし哲学は一朝にして成るものではない。…
※「宋学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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