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村上光清 むらかみ こうせい

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

村上光清 むらかみ-こうせい

1683*-1759 江戸時代中期の富士講行者。
天和(てんな)2年12月29日生まれ。富士講行者月心(げっしん)の子。江戸の葛籠(つづら)商で,財力と組織力により富士信仰の一派光清派をきずく。食行身禄(じきぎょう-みろく)の一派と対立,「大名光清に貧乏身禄」と称された。宝暦9年9月17日死去。78歳。通称は三郎右衛門

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

村上光清

没年:宝暦9.9.17(1759.11.6)
生年:天和2.12.29(1683.1.26)
江戸中期の富士行者。俗名は村上三郎右衛門。江戸の裕福な葛籠問屋に生まれる。長谷川角行を教祖と仰ぎ月心と名乗る富士行者の父と共に少年期より富士登拝し,正徳2(1712)年12月富士信仰の一分派村上派の指導者となった。享保18(1734)年から元文4(1739)年にかけ,自費と信者の寄付を合わせて富士吉田浅間神社の社殿,仁王門などを修築し多数の石灯籠・金灯籠を寄進した。同時代の別派の指導者食行身禄が貧困のなかで布教したのと対比して「乞食身禄に大名光清」と称されたが,のちに村上派の勢力は身禄の弟子が率いる多数の富士講に凌駕された。<参考文献>『富士宮市史』上,岩科小一郎『富士講の歴史』

(宮崎ふみ子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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