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村上忠順 むらかみ ただまさ

美術人名辞典の解説

村上忠順

国学者。勤王家。号蓬蘆。文化9年生。幼時名古屋で本居内遠に国学を修めその学殖を以て藩主土井氏に仕う。勤王の志深く京都に往来して志士と交り遂に有栖川熾仁親王の知遇を賜わる。明治17年(1884)歿、73才。蔵書に富み、著書多く苅谷図書館に蔵せらる。

出典 (株)思文閣美術人名辞典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

村上忠順 むらかみ-ただまさ

1812-1884 江戸後期-明治時代の国学者。
文化9年4月1日生まれ。三河(愛知県)刈谷(かりや)藩医。勤王家で,維新後は宣教使となった。国学を本居内遠(うちとお)らにまなび,作歌と古典研究にはげんで蔵書2万5000冊余をのこす(刈谷市立図書館蔵)。明治17年11月23日死去。73歳。字(あざな)は承卿。号は蓬廬。著作に「古事記標註」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

村上忠順

没年:明治17.11.23(1884)
生年:文化9.4.1(1812.5.11)
江戸末期から明治前期の国学者。歌人。はじめの名は賢次。字は承卿,号を蓬廬,四方樹,書屋を千巻舎という。三河(愛知県)刈谷藩侍医忠幹と美志の次男。秦滄浪,植松茂岳に国学を学び,嘉永2(1849)年,本居内遠に入門。和歌渡辺綱光らに学んだ。父の跡を継いで,6年,藩主土井利善の侍医となる一方,和漢籍の講義と和歌の指導をした。家集に『蓬廬集』,和歌選集の編纂に『類題玉藻集』,注釈に『散木棄歌集標注』などがある。蔵書家としても名高く,その蒐書約2万5000冊は刈谷市立図書館村上文庫に蔵される。明治に入って,有栖川宮熾仁親王に召され駿府に出仕したり,明治政府の少講義を勤めた。

(飯倉洋一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

むらかみただまさ【村上忠順】

1812‐84(文化9‐明治17)
幕末維新期の国学者。三河刈谷の人。字は承卿,号は蓬廬。本居内遠門で,国学をもって刈谷藩に出仕,三河国学界の重鎮として歌壇を隆昌に導く。幕末期には大いに勤王思想を鼓吹し,京都の志士と交わり,天誅組与党を居宅にかくまうなどした。また維新後はとくに神道の教化に力を尽くした。《古事記標註》《河藻歌集》《言乃幸》《本末論》など著書が多く,また蔵書家としても著名。【鈴木 淳】

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

村上忠順
むらかみただまさ

[生]文化9(1812).4.1. 刈谷
[没]1884.11.23. 刈谷
江戸時代後期の医師,国学者,歌人。号は蓬廬。刈谷藩の侍医の家に生れ,藩主に仕え,和漢の学も進講。勤王の志士と交わった。蔵書家としても知られ,現在,刈谷市図書館に村上文庫として保存されている。主著『散木弃歌集標註』 (1850成立) ,『古事記標註』 (74) ,『標註新葉和歌集』 (92) など。

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