村上忠順(読み)むらかみただまさ

改訂新版 世界大百科事典 「村上忠順」の意味・わかりやすい解説

村上忠順 (むらかみただまさ)
生没年:1812-84(文化9-明治17)

幕末維新期の国学者三河刈谷の人。字は承卿,号は蓬廬。本居内遠門で,国学をもって刈谷藩出仕,三河国学界の重鎮として歌壇隆昌に導く。幕末期には大いに勤王思想を鼓吹し,京都の志士交わり,天誅組与党を居宅にかくまうなどした。また維新後はとくに神道の教化に力を尽くした。《古事記標註》《河藻歌集》《言乃幸》《本末論》など著書が多く,また蔵書家としても著名
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朝日日本歴史人物事典 「村上忠順」の解説

村上忠順

没年:明治17.11.23(1884)
生年:文化9.4.1(1812.5.11)
江戸末期から明治前期の国学者。歌人。はじめの名は賢次。字は承卿,号を蓬廬,四方樹,書屋を千巻舎という。三河(愛知県)刈谷藩侍医忠幹と美志の次男秦滄浪,植松茂岳に国学を学び,嘉永2(1849)年,本居内遠に入門。和歌は渡辺綱光らに学んだ。父の跡を継いで,6年,藩主土井利善の侍医となる一方,和漢籍の講義と和歌の指導をした。家集に『蓬廬集』,和歌選集の編纂に『類題玉藻集』,注釈に『散木棄歌集標注』などがある。蔵書家としても名高く,その蒐書約2万5000冊は刈谷市立図書館村上文庫に蔵される。明治に入って,有栖川宮熾仁親王に召され駿府に出仕したり,明治政府の少講義を勤めた。

(飯倉洋一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村上忠順」の解説

村上忠順 むらかみ-ただまさ

1812-1884 江戸後期-明治時代の国学者。
文化9年4月1日生まれ。三河(愛知県)刈谷(かりや)藩医勤王家で,維新後は宣教使となった。国学を本居内遠(うちとお)らにまなび,作歌と古典研究にはげんで蔵書2万5000冊余をのこす(刈谷市立図書館蔵)。明治17年11月23日死去。73歳。字(あざな)は承卿。号は蓬廬。著作に「古事記標註」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「村上忠順」の意味・わかりやすい解説

村上忠順
むらかみただまさ

[生]文化9(1812).4.1. 刈谷
[没]1884.11.23. 刈谷
江戸時代後期の医師,国学者,歌人。号は蓬廬。刈谷藩の侍医の家に生れ,藩主に仕え,和漢の学も進講。勤王の志士と交わった。蔵書家としても知られ,現在,刈谷市図書館に村上文庫として保存されている。主著『散木弃歌集標註』 (1850成立) ,『古事記標註』 (74) ,『標註新葉和歌集』 (92) など。

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