日本大百科全書(ニッポニカ) 「村上龍」の意味・わかりやすい解説
村上龍
むらかみりゅう
(1952― )
小説家。長崎県佐世保市生まれ。本名村上龍之助。武蔵野美術大学中退。中学時代には、作文「初恋と美」(PTA新聞)で市長賞をもらっている。佐世保北高校入学後は新聞部に籍をおいてエッセイを多数発表した。1976年(昭和51)『限りなく透明に近いブルー』で『群像』新人賞、第75回芥川賞受賞。立川基地周辺の若者の風俗を描いた同作品は、100万部を超える大ヒットとなったが、たとえば江藤淳のように首都圏に対するサブカルチャー文学だと糾弾し、同作品の芥川賞受賞と村上の作家としての存在そのものに異議を唱える評論家もおり、さまざまな論議を呼んだ。江藤淳の「サブカルチャー」論は、村上の存在そのものがサブカルチャーとしての運命を生きねばならない背理をはからずも指摘していたのだが、時代はこの作家をしてサブカルチャーがトータルカルチャーを領する転換点に登場させていた。江藤淳の発言は、東京の首都性と「父性」を重ねあわせることを疑わない主体の側の無意識のおびえが攻撃に転化したものだったが、受けた20代の村上は冷静だった。エッセイ集『アメリカン・ドリーム』(1985)では、「父権が消えた」と題して、「私は批判能力が極端に欠けた人間である。それは私にまったく規範がないためだ。私は何でも許してしまう。美しいもの、スピードのあるもの、その二つにはひどく弱い。批判とは、規範があって成立するものだと思う」と語り、「規範」を失った「父権」以後の新感覚を「ポップ」と「快楽原則」として宣言した。
この主題は、芥川賞受賞後第一作『海の向こうで戦争が始まる』(1977)に引きつがれ、つづいて『コインロッカー・ベイビーズ』(1980)で野間文芸新人賞を受賞。並行して、音楽や映画への興味をルポルタージュ的に多数発表する。『野性時代』『写楽』『プレイボーイ』『ブルータス』など、芥川賞作家がこれほど文芸誌以外に活動を広げたのは前例がなく、後進に道をひらいたともいえる。『村上龍映画小説集』(1995)は1996年(平成8)の平林たい子賞を受賞。複合都市としての東京の暴力と存在的な不安を描いた『インザ・ミソスープ』(1997)で読売文学賞を、『共生虫』(2000)で同年、谷崎潤一郎賞を受賞した。映画製作への情熱もデビュー作の映画化以来持続し、『トパーズ』(1988。映画公開は1992)、『KYOKO』(出版・映画公開とも1995)では監督を務めた。
『共生虫』『希望の国のエクソダス』(2000)などの作品がオン・デマンドで販売されている。インターネット・メディアを駆使し、Japan Mail Mediaで「雇用」「構造改革」「金融改革」を積極的に論じ、いずれもNHK出版から発刊されている。また、公式サイトへアクセスすることによって村上龍の活動を多面体でリアルタイムに理解できるような最新のスタイルを築き、依然として時代の注目をあつめている。
もともとスポーツ・メディアへの関心も深く、野球からテニスと幅広い分野に及ぶ。『テニスボーイの憂鬱』(1985)には自らのテニスの経験が反映している。最近では、サッカー・ワールドカップ開催にちなみ、『悪魔のパス 天使のゴール』(2002)、さらにプロサッカー選手中田英寿との共著『文体とパスの精度』(2002)を出版している。70年代以降の出版界において、いわゆる「両村上」の占める影響力は質量ともに絶大だった。それは、ともに「アメリカン・ドリーム」をなにより独自の感性によって言語化し、翻訳しうるものと翻訳しえないものとのあいだに捨て身で個性を再構築していったからである。関川夏央は自分を一個の事業家とみなした明治の作家たちを論じて話題になったが、それにならえば、村上龍は昭和と平成をまたいでまさに明治の作家たちにおとらない、新感覚の事業家としての個性を貫いているといえよう。
[山岡賴弘]
『『共生虫』(2000・講談社)』▽『『悪魔のパス 天使のゴール』(2002・幻冬舎)』▽『『限りなく透明に近いブルー』『アメリカン・ドリーム』『海の向こうで戦争が始まる』『コインロッカー・ベイビーズ』『村上龍映画小説集』『村上龍料理小説集』(講談社文庫)』▽『『インザ・ミソスープ』『KYOKO』『オーディション』(幻冬舎文庫)』▽『『トパーズ』(角川文庫)』▽『『昭和歌謡大全集』『テニスボーイの憂鬱』(集英社文庫)』▽『『希望の国のエクソダス』(文春文庫)』▽『村上龍・中田英寿著『文体とパスの精度』(2002・集英社)』