村井村(読み)むらいむら

日本歴史地名大系 「村井村」の解説

村井村
むらいむら

[現在地名]松任市村井町・村井東むらいひがし一―二丁目

倉光くらみつ村の西に位置し、北はなり村。村域は山島やまじま用水の分流井出いので川の流域、とくにその左岸沿いに南北に延び、当村の垣内として馬渡うまわたり殿村とのむら徳行とくぎよう樋爪ひのつめ武衛ぶえ北川きたがわ石田いしたがある(一木村誌)。応仁二年(一四六八)一〇月一日、富樫鶴童丸(政親)は額丹後守に押領されていた「村井之内」ほかを祇陀ぎだ(現吉野谷村)に還付し、国役・諸公事を免除した(「富樫鶴童丸判物」祇陀寺文書)。天文五年(一五三六)九月二五日、二位法印(竹田氏か)が村井の知行回復を摂津石山本願寺に要請しており、証如はこれに応じたが、翌六年九月一日にも同様の要請があったことが知られる(賀州本家領謂付日記・天文日記)。なお康正二年(一四五六)の「造内裏段銭并国役引付」に「壱貫文 問注所殿 賀州石田保段銭」とみえ、同保を当地付近に比定する説がある。


村井村
むらいむら

[現在地名]鹿沼市村井町

富士ふじ(二三二メートル)南方に位置。東部小藪こやぶ川が南流、西部は丘陵地帯。東縁を壬生みぶ通が南北に走る。東は上殿かみどの村、南は樅山もみやま村、北は花岡はなおか村。村中に井戸が六ヵ所あり、六井が転じて村名になったという(下野国誌)。日光山往古社領六十六郷の一つに「村陰郷」があり(日光山常行三昧堂新造大過去帳)、当地のことか。永禄四年(一五六一)と推定される一一月二九日の大門資忠書状(佐八文書)によれば「村井之地」から一〇〇疋など計二〇〇疋が伊勢神宮に寄進されている。


村井村
むらいむら

[現在地名]朽木村村井

安曇あど川中流に沿い、北は大野おおの村。東岸に東村井、西岸に西村井の集落がある。文明九年(一四七七)一二月五日の五郎四郎等連署合力銭借券(朽木文書)によれば、「村井惣」に対し三人の者が「竹之内前二反」を質として二貫文を借りている。明応七年(一四九八)一二月日の料足諸納帳(同文書)では、当村と栃生とちゆう村は共同で朽木氏に七貫文の山の御礼銭を納めている。永正一五年(一五一八)九月日の棟別銭加増銭集帳(同文書)では、村井惣は一八軒で二貫四〇〇文を負担している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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