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村国男依 むらくにの おより

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

村国男依 むらくにの-おより

?-676 飛鳥(あすか)時代の武人。
大海人(おおあまの)皇子(天武天皇)の舎人(とねり)。壬申(じんしん)の乱のとき,和珥部君手(わにべの-きみて)らと美濃(みの)(岐阜県)で兵3000をあつめ,不破(ふわ)の道をふさぐ。主将として近江(おうみ)(滋賀県)にすすみ,瀬田で大友皇子(弘文天皇)軍をやぶり大津宮を陥落させた。天武天皇5年7月死去。名は雄依,小依ともかく。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

村国男依

没年:天武5.7(676)
生年:生年不詳
壬申の乱(672)の大海人皇子(のちの天武天皇)の有力武将。男依は雄依・小依とも書く。美濃国各務郡(岐阜県)出身。大海人皇子の舎人として,乱勃発とともに美濃国安八郡に急行し,湯沐令を務める多品治の協力のもと,3000人の兵士を動員し,戦略要地不破(岐阜県不破郡)の道を塞ぐことに成功した。大海人方はまもなく近江を攻略するが,男依はその主将となって近江軍を破り,大津宮を陥落させた。大友皇子は自殺してここに近江軍は潰滅した。死没時に壬申年の功をもって破格にも外小紫位(のちの従三位相当)を贈られている。大宝1(701)年7月,功封120戸のうち4分の1を子に伝えることを許され,霊亀2(716)年子の志我麻呂に功田10町が与えられ,後年裁定があってそれも二世に伝えることが認められた。<参考文献>直木孝次郎『壬申の乱』

(狩野久)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

むらくにのおより【村国男依】

?‐676(天武5)
雄依,小依とも書く。壬申(じんしん)の乱の功臣で本拠地は美濃国各務(かがみ)郡(現,各務原市東部)。皇太弟大海人(おおあま)皇子の舎人(とねり)になり,671年に皇子の吉野隠棲に従う。672年6月,壬申の乱にあたり,ほかの2舎人とともに,吉野方が挙兵拠点にした美濃国安八磨(あはちま)郡(当時は三野国味蜂間評(あじはちまのこほり)か)の湯沐邑(ゆのむら)に急派された。そして農民の動員と不破の地峡確保の成功を,伊勢国まで進んできた大海人皇子に報告,ついで7月初めに近江大津宮を攻撃する主力軍の将軍に任ぜられ,同月下旬に大津宮を陥落させた。

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