日本歴史地名大系 「杜本庄」の解説
杜本庄
もりもとのしよう
現伊丹市東端部の渡庄目録(九条家文書)に山城
渡庄目録(同文書)では「致景有名無実之間、不及所務」とあり、この間に武士の押領を受けたものと考えられる。一方、同年四月の尼見性譲状写(彰考館蔵北河原森本文書)によると、「津のくにたちはなのミそのゝうち、もりもと大ちむら」の下司公文職などが斎藤基伝の後家見性から子息彦七(森本基康)に譲渡されており、杜本は
杜本庄(森本庄)
もりもとのしよう(もりもとのしよう)
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報