来迎堂跡(読み)らいごうどうあと

日本歴史地名大系 「来迎堂跡」の解説

来迎堂跡
らいごうどうあと

[現在地名]高野町高野山

大門の東方、大門だいもん通に西面していたが、現存しない。廃絶の時期は不明だが、明治二二年(一八八九)の高野山略図には記されている。本尊阿弥陀如来、脇士は不動明王・毘沙門天で、ともに運慶の作であったといわれる。保延四年(一一三八)平等房永厳によって建立された平等心びようどうしん院旧跡の一宇であったが、文明(一四六九―八七)頃より一山の総堂となり、院内寺家出勤の道場すなわち行学衆僧の法場になっていたという(続風土記)。大永元年(一五二一)に類焼したのち再興され、「高野山通念集」に「毎年卯月十二日新得度の僧、於此堂臈次の鬮取有て、同十五日より一夏九旬刻限を極め、壇上金堂にて供花の勤あり」と記され、当堂に関係する衆僧の役割の一端が示される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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