日本歴史地名大系 「来鉢村」の解説 来鉢村くばちむら 大分県:大分郡挟間町来鉢村[現在地名]挟間町来鉢賀来(かく)川と同川の北側を流れる支流の石城(せきじよう)川の間にあり、南は由布川を挟んで古原(こはる)村。同川から引水する三船(みふね)井路の取水口がある。年月日未詳の豊後国阿南荘松富名半分新田畠実検帳案(大友文書)に「来鉢井窪分」とみえる。来鉢井窪分は、田代としてくちら、同しり、おき、同しり、くわハら、ふちたのなかしま、ふちた、たのひら、あかふち、おとし、なへ、同しり、きたかわ、ミやかわら、くゑふち、うりう畠の坪名がみえ、筆数は二二筆で一町六段半三〇歩。済物は藍六わ、茜一根、苧四束であった。文禄二年(一五九三)六月二六日の肝入二郎左衛門尉旧領覚書(甲斐守文書)に「九はち 百五十貫」とみえる。 来鉢村くばちむら 大分県:宇佐郡院内町来鉢村[現在地名]院内町来鉢恵良(えら)川最上流部の谷間に位置し、東は田平(たびら)村、西と北は西椎屋(にししや)村。元禄豊前国絵図によれば、恵良川に沿って四日市(よつかいち)陣屋(現宇佐市)と豊後国玖珠(くす)郡を結ぶ往還が南北に走る。地形は谷底のようになっており、それで来鉢とつけたといわれる。小倉藩元和人畜改帳では高一三三石余、家数八・人数二四(うち百姓五・名子三)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by