東大久保村(読み)ひがしおおくぼむら

日本歴史地名大系 「東大久保村」の解説

東大久保村
ひがしおおくぼむら

[現在地名]大沢野町東大久保

大沢野中位段丘北寄りの東部にあり、舟倉ふなくら高位段丘崖に接する。北は合田ごうだ村、北西は下大久保村、南西は上大久保村。富山藩領。文政八年(一八二五)布瀬組、文久元年(一八六一)以降太田組に属した。塩野大窪しおのおおくぼ開は寛保(一七四一―四四)頃に始まったが、東大久保村の開拓は文化年中(一八〇四―一八)に入って富山商人岡田屋嘉兵衛(三輪日顕)が御開方上縮役となって一千石高の新開願を出し、同所に作屋を建て多数の作人を雇い、倅甚次郎(のち肝煎)を当地に住まわせて差配としたことに始まるとされる。


東大久保村
ひがしおおくぼむら

[現在地名]新宿区新宿六―七丁目・歌舞伎町かぶきちよう一―二丁目

西大久保村の東に位置し、東は牛込の町場や武家屋敷、北は尾張藩戸山屋敷。村の北を通る道は奥州への古街道といい(風土記稿)玉川上水分流南方の内藤新宿方面から流れてきていた。村成立の経緯は西大久保村に同じ。元禄郷帳では大久保村枝郷として村名がみえ、高九三石余。文政七年(一八二四)の東大久保村地誌書上帳(新宿区文化財総合調査報告書)によれば、高一五三石余・家数八七。旧高旧領取調帳では高九〇石余、すべて鉄砲玉薬組同心給地。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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