日本大百科全書(ニッポニカ) 「東家楽遊」の意味・わかりやすい解説
東家楽遊
あずまやらくゆう
浪曲師。初代(1858―1925)の孫弟子にあたる2代目(1881―1960)がもっとも有名。桃中軒雲右衛門(とうちゅうけんくもえもん)に対抗して、1908年(明治41)の新富座公演では連日満員の成功を収めた。当時評判の新聞小説による『勤皇美談小松嵐(こまつあらし)』の一節「殺さば殺せ馬子のとき……」は広く大衆に愛唱されたという。ほかにも『塩原多助』『五寸釘寅吉(ごすんくぎとらきち)』『生首正太郎(なまくびしょうたろう)』『義士伝』などで高い人気を博し、後年弟子の左楽遊(さらくゆう)に3代目(1896―1964)を譲った。なお初代の実子東家楽燕(らくえん)(1887―1950)も名人といわれ、『召集令』その他で東家の名をさらに高めた。
[秩父久方]