三遊亭円朝作の人情噺《塩原多助一代記》(1885年速記講談本刊)の主人公の名。円朝が友人の絵師から聞いた実話,江戸本所の炭屋塩原太助の成功談をもとに作り,高座にかけたもの。筋の前半は多助の育ちをめぐる受難物語で,武士の子多助が農民の養子となり,養母と妻のいやがらせと姦通にあって家を捨て郷里をひとり出奔するまで,後半は彼が江戸で炭屋の奉公人から身を起こし,正直と孝行と商法によって大商人となる立志成功談からなる。中世以来の民衆的な生活救済幻想の型である〈貴種流離譚(きしゆりゆうりたん)〉を踏まえて,近世封建社会の底辺にあえぐ民衆像に近代社会の〈開かれた社会〉という幻想を連結させた構成をなす。近代化に伴う農本的な家族の崩壊と都市貧民化の現実を,岩崎,古河,浅野など明治の政商〈新貴族〉像とを結びつけ,近代社会の救済幻想を民衆レベルで表現したものとなった。また円朝の文体〈語り口調〉は,生活民多助の話し言葉がもつ素朴な時間性をまるごと切りとり,物語の筋に並べ入れるという方法で,生活民の自然な生活意識がそのままで近代社会の生成の原動力となるかのような表現を作り出した。近代日本の民衆が新たな教育制度に取りこまれる以前のわずかな時期に,それまで民衆のわびしい娯楽場にすぎなかった寄席に新時代の〈開かれた社会〉という理念表現を担わせることで,社会的な成功を得た。また1892年に東京歌舞伎座で原作に忠実な脚色と5世尾上菊五郎の主演で劇化されて以来,各種演芸に取りあげられる一方で,同年《尋常小学校修身》(八尾書店)に,おりから教育勅語発布の時勢に乗って,〈恭倹己ヲ持シ〉という徳目の例話として取りあげられるまでになった。その後,諸演芸に伝えられる家族崩壊,郷里出奔の悲哀表現と教科書に取り出された公的倫理とに両極分解しながら,多助像は続いていった。
執筆者:青木 正次
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…そのほか法師温泉をはじめ湯宿(ゆじゆく),川古(かわふる)の温泉がある。下新田には講談《塩原多助一代記》で有名な江戸の豪商塩原多助の生家跡がある。村域の北部は上信越高原国立公園に含まれる。…
※「塩原多助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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