日本歴史地名大系 「東寺領所」の解説
東寺領所
とうじりようこうしよ
巷所とは、もともと平安京の条坊間の街路地であったものが、都市機能の変化に伴って耕地化・宅地化された地所のことをいい、左右京職の管轄下にあった。荘園領主等による開発や買得・被寄進を通じての集積も早くからみられる。東寺が
東寺による巷所の開発は、史料上の巷所の初見とされている永久三年(一一一五)三月二〇日付東寺権上座定俊申状写(阿刀弘文氏所蔵文書)によって早期の例が確認される。
これによって巷所が、道路が耕地化されたものであり、律令制下で京中の行政権を掌握していた京職の管轄下にあったことなど、巷所の基本的な性格が知られる。東寺領巷所はもともと地子免除の地であったが、鎌倉時代末頃からは、地子が徴収されるようになった。
東寺領巷所に関する早期の史料としては、ほかに正安元年(一二九九)一一月一八日付で東寺近辺の巷所耕作停止を命じた伏見上皇院宣や、東寺領巷所のうち、道路となってしまった場所を耕作したいという百姓の希望を支持した東寺執行厳伊書状(ともに東寺百合文書、以下同文書については個別文書名のみ記す)などがあるが、一四世紀にかけて、後宇多上皇による東寺再興の動きともあいまって、東寺領巷所が成立していったものと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報